菅井滋円 作品集

絵を始めて半世紀以上の歳月が流れた 絵に向かう時何時も満たされないモノがある その場がここになりつつある。

落ち穂拾い

2015年09月25日 | 菅井滋円 作品集


落ち穂拾い 7

床の中で船岡山に登れたことを思い起こしていた よく登れたものだと・・ 翌朝 「雙ヶ丘」へ登ろうと思いながら 眠った 明けてみると幸い晴れていた。
バスを御室仁和寺で下車 山門の前が下り道をゆくと 嵐電の交差点を越え 雙ヶ丘の裾野へたどり着いた ここからは厳しい山径であり 木で補強された階段が設けられているが 山頂へは約100メーター位だろう 喘ぎながら山頂を目指した この径は春にはシダが多かったのが記憶にある 呼吸を整えながら20分くらいかかっただろう 屈曲した径を山上へと やがて山上の椎ノ木が見えだした 以前描いた椎ノ木だ やがて山上に到達した。

山頂には「右大臣贈正二位清原真人夏野公之墓」とある石碑があり 以前に発掘された古墳もある 平安時代の公家の塚だ 説明されたプレートが掲げられている そのプレートには土器や金管の写真が掲載されていた。
雙ヶ丘は三ッの丘が並んでいるわけなのだが その総称をナラビガオカと云う訳だが 洛中西にある優雅な三つの丘である この度は 一の丘を登ったわけである。

残る二つの丘へは行かず 別の径から帰路に着いた




落ち穂拾い

2015年09月18日 | 菅井滋円 作品集

落ち穂拾い 5
わが家の東窓を開くと窓いっぱいの緑である  洛中の西北 古寺を借景とした木々の緑であり 樫 樟 公孫樹の外に 柿もありツツジも花開く。
寺であるから墓地もある この墓を見て育ったわたくしには 好き嫌いは別に前から存在した景色なのである。

墓は静かでよい 朝早くより小鳥たちは木々を廻って囀り 盆や彼岸には 親やジジババに連れられたコドモの声も聞こえる 僧侶の突き抜けるような読経も心に響く 最近その寺で座禅をし出した 閑静な本堂に1時間 わたしは内部に潜むものを 絞り出したいと思っている。
それはわたしの「落ち穂拾い」だろう。


落ち穂拾い4

2015年09月11日 | 菅井滋円 作品集

落ち穂拾い 4
九月九日は「重陽」(ちょうよう) あるいは「九重」(きゅうちょう)の日である  九という文字が重なることにもとづいている 節句なのである 秋の到来を愛でた日であり 故人達の多くは高いところに登り 知己たちと酒を酌み交わし 長寿を賀し祝う文人たちの集いで その席で詩を賦して楽しみ祝ったという。
わたしもまた故人に倣いたいと思うのだが 重なる病に酒も飲めなくなった それにしても来春の一月には八十歳という 思いもよらない年齢を重ねることになった せめて「落ち穂拾い」をして自らを祝うこととしよう。

そこで若き日に描いた絵の一枚だが このよう作品を何枚も描いていた だが若い日は二度とは来ないのだ いまは気負ったこの絵に残る若さが眩しい。




落ち穂拾い 3

2015年09月04日 | 菅井滋円 作品集


  落ち穂拾い 3
膀胱に薬剤を入れて癌を治療する という新しい治療があるらしい 病になって20年 これまで受けた治療も20年  懐疑的になるのも当たり前だが 医師の指示通りその治療を10週受けた。
その10回目の治療を受け 帰宅のバスの客となった 自らゴクロウサン と云う言葉を口中で発し その言葉を呑みこんだ。
病の行方に見当はつかないが 目の前に何の不安もない だから急ぐこともない 文字通り残りをここで「落ち穂拾い」をしよう   ゆっくりと。