菅井滋円 作品集

絵を始めて半世紀以上の歳月が流れた 絵に向かう時何時も満たされないモノがある その場がここになりつつある。

回帰 3

2018年04月27日 | 菅井滋円 作品集
回帰 3
バスを待ちながら若い日のことを思い起こしていた。
今出川大宮で乗り換へるために下車したが そこは西陣の問屋の工場があった そこは嘗てアトリエにしていた。
多量の画材を持ちこみ まことに独善的な絵を描いていた場所で そのときの二階からの窓外景色がいまも残されている。  いまの考古学博物館の前である。 二十歳の半ばより十余年当時の西陣織物会館があったのである。

バスを待ちながら気になることがあった 隣で不安気な顔で地図を見ている青年である。
「どこへ行くの・・」
と声をかけた。
彼は以外なところからの声であったのだろう チョト間をおいて
「大将軍と云うところなのですが・・」
その返答はわたしの予想外の観光客である。
話して見て一昨日新潟から夜行バスで独り旅で京都へ向かってきたというのである。
バスと同じ方向なので案内しようと この珍客を北野神社前で下車して大将軍八神社へ案内した。
大将軍八神社は平安京鎮護の方位の神で歴史は古い わたしは久しぶりに賽銭を供え二礼二拍手 彼もわたしに摸して頭を垂れて拝み オガタマの木 裏の大碇を 集印帳を買い印を押してもらい 帰路に就いた。
わたくしには案内人ばかりはしていられない 彼を椿寺を案内しながら コンビニでお粥を買いに行く話しをした。
彼はそこにも付いて来た。
結局はわたしの家へも来た そして銭湯へも行った。
八時を過ぎて彼が帰った。  春の珍事は暮れた。


   



回帰 2

2018年04月13日 | 菅井滋円 作品集
回帰 2
命長ければ恥じ多しという言葉がある。
徒然草の言葉だが 著者だと云う吉田兼好がどのタイミングでこの言葉を記したのか 前後の文体を忘れてしまった。
「命が長い」のと「恥が多い」の二つの言葉は長寿の結果恥が多いのであろうか?  わたしにはそうは思えない。
若い時のことを思い起こして感じた事柄を 著者は自嘲と揶揄が含まれて恥ずかしいので アンテナの鈍い人は持たないシナヤカな感受性と云うことだと思う。
全ての長寿者が恥じることではない。  命が長いので若い日のことを恥じたのであろう 改めて嘆くことになったのだろう。
それにしても誰に恥じているのか?  そう云えば最近しみじみと身辺にいた人々が 何処へ行ったのか 居なくなっている。  そして恥じる人のいないコトに年齢を感じ寂しく やるせなさだけが残り 生きていて自らに恥じているだけだ 恥じている。
病院へ通うのが週に何回も重なると 絵を描くことに専心出来ず気力も萎える 無理にこれまで何度もして来たことだが 絵を描くことへの沢山の習作のである。
空いた時間を埋めるとき絵の整理をし出した。  余計なモノを数多く描いてきたものだと呆れる いつも集中して絵を描いてはいられないわけである。
キャビネットの中に残された習作を目にすると これも亦恥ずかしいことだ。
デッサンやエチュード・水彩・パステル・墨 その他いろいろな山が出来ている。  内容も多岐にわたる   2~3日整理した たちまちゴミ袋の30Lの袋5~6ケ出来た それらの袋を何週かにわたり捨て去った そして自らに恥じるわけだが 病の身でいくらも出来るわけではない 瞬く裡に陽は落ちて行った。

孤老は夜に入っても紙を裂いていた。