30年前に起きた神奈川で起きた誘拐事件。
その正体は2児が同時に誘拐されるという前代未聞?の事件だった。
誘拐された子供を救うために解決に導こうとする警察と、身代金を用意して救いたい家族。
誘拐事件は思わぬ展開に…
本作品はその誘拐事件の空白になってしまっている部分を追う物語である。
ネタバレなしで書くのはなかなか難しいあらすじですが、何が起きているかは、本作品を読んで確認していただきたいなと思える作品です。
いろいろと書くとネタバレになりそうで怖いのですが、本作品は特に美術(絵描き)の世界が背景に直接絡んでくるのですが、私達にとって、芸術家によって描かれた作品がどうやって世に出てくるのか、全くわからない部分なので、こういう世界なんだなぁと、読んでいて思いました。
結構大変だなぁと。
私も過去に、作者の『デルタの羊』を読んでいたので、アニメって世に出るまでこんなふうになっているんだなぁとも思ったので、こういう業界の描写は相変わらず凄いなと思いました。
読んだ感じは作者の『罪の声』みたいテイストでもあり、『デルタの羊』のような感じもあり、作者の作風がしっかりと出ているんだろうなぁと思いました。
そんな、本作品から感じで取ったことは
「空白」を埋めるのは誰なのか
読んでいて、ふと思ったのですが、絵画などの芸術品は基本的には、真っ白なものに何を描くのかということだよなぁと思いました。
白いキャンパスに線を引いたり、絵の具を塗ったりして絵は完成します。
しかし、完璧な完成というのはあるのか?という問いに、恐らく芸術家の方は否定することのほうが多いのではないか?
要するに、空白を完璧に埋めることなんていうことはできないということなんじゃないかな?と思います。
実はこれ、絵だけのことじゃない話で、本作でもたくさんの空白部分があります。
その空白は登場人物が埋めて明らかにしていくわけですが、すべての空白を余すことなく埋めたわけでもなく、また、完璧に綺麗に埋めた、もしくは描いたというものではないと思います。
もっと、突っ込んで言えば、作品の読み手である私もその空白を完璧に余すことなく想像して描けたのか?というとそうではないと思います。
そして、本作品から離れて実生活を思い返してみると、私の目で見えない部分というのはほぼ「空白」でできていて、その空白を補うことを日々しているということです。
たとえば、家族や同僚と話していれば、相手がどう思っているのか、それは絵画でいうところの私が想像して白いキャンパスに絵を描いているのと変わらないことをしているわけです。
また、私以外の全ての人の生活や生い立ちはわからない、空白部分を持っていて、その空白は結局自分で埋める、もしくは描かないといけないということなんだろうなぁと思いました。
まさにタイトルの通り
「存在のすべてを」完璧に描くことはできない
でも、完璧でないからこそ味があるんだ。
そんなことが聞こえてくるような気がした作品です。
※ブクログに掲載した感想を転載しております。
空白を埋めるのは、誰なのか。
そう私でありあなたです。
ストーリーもさながら、空白を埋めることに答えはないということがよくわかる作品だなと思いました。