対局の機会の少なさが集中力を鍛える
営業職として4年働いた会社があった。
はじめはごく一部のエリアで営業をしていた。
2年目にエリアをまたいで営業をするようになり、3年目には県境を超えた。4年目には複数の県を担当するようになった。
理由は様々あった。はじめは業務をこなせるようになったのでエリアが増えた。次はチームのメンバーの穴埋めだった。最後はチームメンバーが私一人しかいなくなった。
補充などなかったため、私はなんとか耐えて仕事をした。残業時間は月で80時間くらい。サービス残業も含めると100時間は超えていた気がする。
雑務や会議も増え、営業に割く時間などほとんどなかった。それでも、与えられたノルマをこなさなければならない。
商品知識も増やし、アプローチを考え、数少ない営業機会をなんとか生かすため時間を作っては営業の準備に励んだ。
結局、人員補充が認められず、自分の体にも異変をきたしていたのでその仕事を辞める決意をした。
転職先はその仕事場に比べて天国みたいなところだった。
営業をするための時間、給与、尊敬できる上司何もかも揃っていたように思う。あくまで営業だけに専念できる環境、給料の良さ。前職の過酷な環境からは嘘みたいな環境で、私はこの場所でならばもっと頑張れると思っていた。
結果は、環境の良くなかった前職の方が1年目というハンデがあるにしても圧倒的に営業に集中できた上、成績もよかったと思う。
もちろん、売るものも違えば営業スタイルもやや違うものだが、根本的なところで違うことがはっきりとわかった。
それは、営業に対する集中力である。
前職では、営業の機会が少なくなりすぎていて、一回の営業に対する集中力が全然違っていたのだ。失敗すれば悔しいし、あともうちょっとで成約になりそうなところを逃すということになったときも悔しくて、次はどうしようかしっかりとダメだったところを分析して次につなげていこうという心積もりがあったように思う。
転職先では、数あるチャンスの一つとしてでしか考えておらず、数は圧倒的にこなせてはいたと思うが、1回の反省よりも次にこだわり過ぎて、同じ失敗を何回も繰り返していたと思う。1回の営業で取ってくるくらいの気持ちと準備があれば、もっと失敗に対する反省やアプローチを心掛けてきただろうにと思う。
しかし、いつか慣れるさという気楽な気持ちは抜けず、ただ怒られたくないから営業にいく、客先を回らないと上司に怒られるから戦略もなく営業先を回るなんていうことを繰り返していたように思う。
また、わからない時は誰かに聞けばよいという甘い考えも転職先ではもっていたように思う。
結局私は、もともとのパフォーマンスを発揮することもできず、環境に甘えたまま仕事に対する熱意を失っていき、1年ももたずに理想だと思った環境を手放した。
さて、そんな私が今回読んだのが将棋の藤井六段の師匠である杉本七段が執筆した『弟子・藤井聡太の学び方』の感想を書いていきたいと思います。
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今、世間を賑わせている将棋界。
中学生ながらもプロ棋士としてデビューをし、プロの連勝記録まで塗り替えてしまった藤井聡太六段。
私も、先日、彼が師匠に対しての恩返しを達成した日、ライトノベルの『りゅうおうのおしごと!②』の感想で、師匠杉本七段の気持ちを推測で書いてみましたが、実際にどんな風に師匠が育てたのかということに興味が湧いたので読んでみました。
彼がどんな風に学んでプロになって活躍しているのか、師匠の杉本七段が語ってくれる貴重な本だと思います。
ただ、この本は純粋に将棋本として読むという楽しみ方もあると思いますし、社員を育てるための風通しの良い組織づくりの参考書として読むのもよいでしょうし、あるいは子育て指南書として読む分にも十分ありだなと思います。
そんな中で私の経験の中で藤井聡太六段がどういうプロセスをたどってプロになり、今の活躍があったのかを分析するとともに、自分の今後の仕事に役立てるビジネス書、自己啓発本として感想を書きたいと思います。
1.悔しさこそが原動力
今では負けて泣くことはない藤井六段ですが(負けた時は相当悔しそうな顔をしています)、小学2年生の頃までは負けた時は手を付けられないほど泣いていたそうです。
師匠の杉本七段もここまで泣く子は珍しいと思ったそうです。
また、藤井六段が小学生の時、将棋の日に谷川浩司先生と将棋を指したとき、谷川先生が優勢の状態だったんですが、幼い藤井六段に「引き分け」を提案したときも、将棋盤を抱きかかえて大泣きしたとこのことです。
当時、藤井六段は谷川先生に憧れていたというのもあって、負けても最後まで指したいという気持ちがあったのでしょうが、それ以上に勝敗がつくまでやりたかったのかなと思います。
負けて悔しいという思い、特に泣くほど悔しいというくらい夢中だったということなんでしょう。私も、小学校の高学年で悔し涙を流したのも将棋で負けた時でしたので、悔しくて泣けるという気持ちがどういうものかわかりますし、小学校の頃からそれくらい泣けるというのは羨ましくも思います。
私は思います。悔しく思えるということはそれだけそのことに全力でぶつかったからだと。それが泣けるほどというのは、相手のせいで負けたというのではなくて、自分のせいで負けたことを自覚しているからだと。
そういう悔しさというのは、次にどうしたらよいか、何がダメだったのかなど自分で考えながら悩んでまた次につなげていくための努力をしていたなと今となっては思うところでもありますので、悔しく思えるということも一つの原動力になると思います。
私もまずは失敗したり負けたりして悔しく思えるほどにやり遂げることができるものを作りたいと思いました。
2.目の前の対局に集中することが濃密な経験を生む
藤井六段はプロを目指す環境に恵まれていたのか?
藤井六段が幼少期の時に遊んでいたおもちゃが売れたり、奨励会入会前に通っていた将棋教室に生徒が殺到するなど大盛り上がりを見せているというニュースをみました。
藤井六段が将棋を始めた頃はインターネットが普及していたり、コンピュータやAIが将棋の分野で発達していたということもあり、将棋の研究をするには申し分のない環境で思いっきり将棋を指して、プロに行けたという意見もあるかもしれません。
私も、藤井六段の将棋を初めてNHKで見た時は、コンピュータの将棋をよく勉強しているなという印象があったので、コンピュータ将棋で強くなったタイプの子なのかなと思っていました。
しかし、本書を読んで実際は違っていたのだなと思いました。杉本七段が言うにはコンピュータを使っての研究はほとんどしていなかったようです。
コンピュータを使うのは対局した時の形成判断が自分の感覚と合っているのかを確かめる程度に使用はしているようですが、それ以外ではあまり使っていないとのことでした。
ただ、将棋を始めたときの藤井六段の将棋の環境は恵まれていたと思います。
まず、はじめに通った将棋教室の先生が将棋の戦法や技術的な指し方を指導者の目線で教えるような方ではなく、あくまで詰め将棋など将棋に強くなるための最低限の基礎しか教えなかったこと。これによって、藤井六段が自由な発想で将棋を指せたのではないかと思います。
そして、両親の存在です。藤井六段が将棋に負けたからと言って怒る両親ではなく、対局の邪魔にならないように見守るようにされていたようです。
また、杉本七段に弟子入りした際も忌憚なく兄弟子たちと将棋を指してお互いを高めていける環境があったというのも良い環境だったと思います。
しかし、藤井六段は名古屋という比較的交通の便が良いところにいたというものの、奨励会の手合いは大阪か東京の2つしかない棋院のどちらかに行かないといけない(=強い子は大阪付近か東京付近のエリアに集まっている)など、プロを目指すには対局数というところで不便なところでした。
その不利を補うために師匠の杉本七段が手合いを準備した旨の記述もありますが、そういうプロを目指すものとして恵まれていない環境こそが藤井六段の対局に対する集中力を高めていたということも藤井六段にとっては良かったと師匠の杉本七段は言います。
つまり、藤井六段は対局数が少ないという限られた状況下だからこそ、その対局への集中力が高まるのであり、一回の対局で濃密な経験をしてきたんだということです。負ければ悔しくて大泣きしていたというのも1局を大切にしていたからだろうと思いますし、対局の際には安全な手よりもハイリスクハイリターンの手を指していたのも結果的に対局での経験を濃密にさせたのだろうと思います。
この話は、実は藤井六段だけではなく、羽生永世七冠にもいえるものだったりもします。
羽生永世七段も幼少期は週末土曜日の3時間しか対局する機会というのはなかったそうです。その3時間の間に指せる1局1局にかけていたからこそ将棋への集中力を高めることができたのではないかと思います。
私も、仕事の時に相手に踏み込むのが怖かったり、失敗するのが怖かったりで、守りの手で行くことがしばしばあるなと痛感してきているところですが、そんなことを続けても良い経験を得ることはできないのだなと改めて気づかされました。
3.受け身で素直ではプロにはなれない
将棋でプロになるためには、対局で結果を出して四段に昇段しなければなりません。四段に昇段するまでは、対局でお金をもらうことはできません。
それが将棋の世界で、プロになる惜しいところ(三段になる)では意味がない世界です。
そして、そのプロを目指す奨励会にはいわゆるその年の世代の天才と呼ばれるような人々しか所属していません。その世界でプロになれるのは2割くらいとのことです。
奨励会に入るために相当の努力をしてきたのに、そこで生き残るための結果を出すためにさらに精進しないといけない世界で生き残っていくための性格として、杉本七段もこういう性格の子が生き残っていくというのを書かれています。
その中の一つに、指導に受け身でなんでも言うことを聞く素直な子はプロになるのは難しいといいます。
将棋を指して自分と向き合っていく中で、自分の武器は何かということに気付いていき、自分の武器を磨き上げていくことが必要だということで、そこを磨き上げていくためには何が必要で何が必要ではないかを自分で考える必要があるとのことです。
その武器を磨き上げていく中で師匠からのアドバイスが不要だと判断したときはそのアドバイスに従わないということ(=頑固さ)が強くなるのに必要なんだということです。
杉本七段も、奨励会時代に自分の強みは「将棋に対する体力」だということに気づき、これを生かす指し方というのは今までの戦法を変えないと生かせないことに気が付きます。それは杉本七段の師匠の一門の方針に反するやり方でしたが、武器を磨くためならばと師匠に隠れてでも研究を続けたそうです。
結果的に師匠にとがめられることなく黙認されていたようですが、仮に杉本七段が師匠からその戦法はやめろと言われていても従わなかったのではないかというくらい強い意志を感じました。
師匠や目上の人からいただいたアドバイスを取り入れないという選択をするというのは難しいことだと思うのですが、考えた末に自分に合わないアドバイスだと思ったら取り入れないこと(=素直ではない)ことも必要とのことでした。
私も、この話を読んで、素直さというのはどういうことなのかを考えました。
私自身、仕事上で必要だと思ったことは考えた挙句、積極的に行動するタイプだと思っていました。しかし、そういった積極的な行動をする中で、その行動に対して上司に指示や命令あるいは注意をされたら、無条件に取り入れて私の考えていたことと違う方向に進んでいるにも関わらず取り入れてきたことがあるなと思います。
本当に自分で積極的に行動するというのであれば、私自身が行動に出た時の目的と違うのであれば反論したり指示に従わないということも覚悟した上で行動すべきだったのではないかと思います。積極的に行動しているように見えて、責任を取りたくないために途中で受け身な行動をとっていたのではないかと考えるようになりました。
仕事というのはその道のプロを目指すものだと思えば、将棋の世界でプロ棋士になるということにも通ずるものがあるなと思います。
その道のプロを目指すならば、うわべだけの積極性ではなく、芯から曲げない信念みたいなものを持たいなとその道のプロとして成功することはできないのかもしれないと思った今日この頃です。そのためには、自分で考えてどうしても納得のできないことは受け入れないという勇気も必要だなと思いました。
私は本書は自己啓発的な意味で気づきが多い本だと思いました。
もちろん、そんな読み方以外もできる本です。特に今話題の藤井聡太六段を直に見てきた師匠が書いた本ですので、将棋の話題として読むにも十分に面白い本だと思います。
よろしければ、一度読んでみてはいかがでしょうか(何なら、私のページからAmazonへ飛んでポチってくれると泣いて喜びます(笑))。
営業職として4年働いた会社があった。
はじめはごく一部のエリアで営業をしていた。
2年目にエリアをまたいで営業をするようになり、3年目には県境を超えた。4年目には複数の県を担当するようになった。
理由は様々あった。はじめは業務をこなせるようになったのでエリアが増えた。次はチームのメンバーの穴埋めだった。最後はチームメンバーが私一人しかいなくなった。
補充などなかったため、私はなんとか耐えて仕事をした。残業時間は月で80時間くらい。サービス残業も含めると100時間は超えていた気がする。
雑務や会議も増え、営業に割く時間などほとんどなかった。それでも、与えられたノルマをこなさなければならない。
商品知識も増やし、アプローチを考え、数少ない営業機会をなんとか生かすため時間を作っては営業の準備に励んだ。
結局、人員補充が認められず、自分の体にも異変をきたしていたのでその仕事を辞める決意をした。
転職先はその仕事場に比べて天国みたいなところだった。
営業をするための時間、給与、尊敬できる上司何もかも揃っていたように思う。あくまで営業だけに専念できる環境、給料の良さ。前職の過酷な環境からは嘘みたいな環境で、私はこの場所でならばもっと頑張れると思っていた。
結果は、環境の良くなかった前職の方が1年目というハンデがあるにしても圧倒的に営業に集中できた上、成績もよかったと思う。
もちろん、売るものも違えば営業スタイルもやや違うものだが、根本的なところで違うことがはっきりとわかった。
それは、営業に対する集中力である。
前職では、営業の機会が少なくなりすぎていて、一回の営業に対する集中力が全然違っていたのだ。失敗すれば悔しいし、あともうちょっとで成約になりそうなところを逃すということになったときも悔しくて、次はどうしようかしっかりとダメだったところを分析して次につなげていこうという心積もりがあったように思う。
転職先では、数あるチャンスの一つとしてでしか考えておらず、数は圧倒的にこなせてはいたと思うが、1回の反省よりも次にこだわり過ぎて、同じ失敗を何回も繰り返していたと思う。1回の営業で取ってくるくらいの気持ちと準備があれば、もっと失敗に対する反省やアプローチを心掛けてきただろうにと思う。
しかし、いつか慣れるさという気楽な気持ちは抜けず、ただ怒られたくないから営業にいく、客先を回らないと上司に怒られるから戦略もなく営業先を回るなんていうことを繰り返していたように思う。
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結局私は、もともとのパフォーマンスを発揮することもできず、環境に甘えたまま仕事に対する熱意を失っていき、1年ももたずに理想だと思った環境を手放した。
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今、世間を賑わせている将棋界。
中学生ながらもプロ棋士としてデビューをし、プロの連勝記録まで塗り替えてしまった藤井聡太六段。
私も、先日、彼が師匠に対しての恩返しを達成した日、ライトノベルの『りゅうおうのおしごと!②』の感想で、師匠杉本七段の気持ちを推測で書いてみましたが、実際にどんな風に師匠が育てたのかということに興味が湧いたので読んでみました。
彼がどんな風に学んでプロになって活躍しているのか、師匠の杉本七段が語ってくれる貴重な本だと思います。
ただ、この本は純粋に将棋本として読むという楽しみ方もあると思いますし、社員を育てるための風通しの良い組織づくりの参考書として読むのもよいでしょうし、あるいは子育て指南書として読む分にも十分ありだなと思います。
そんな中で私の経験の中で藤井聡太六段がどういうプロセスをたどってプロになり、今の活躍があったのかを分析するとともに、自分の今後の仕事に役立てるビジネス書、自己啓発本として感想を書きたいと思います。
1.悔しさこそが原動力
今では負けて泣くことはない藤井六段ですが(負けた時は相当悔しそうな顔をしています)、小学2年生の頃までは負けた時は手を付けられないほど泣いていたそうです。
師匠の杉本七段もここまで泣く子は珍しいと思ったそうです。
また、藤井六段が小学生の時、将棋の日に谷川浩司先生と将棋を指したとき、谷川先生が優勢の状態だったんですが、幼い藤井六段に「引き分け」を提案したときも、将棋盤を抱きかかえて大泣きしたとこのことです。
当時、藤井六段は谷川先生に憧れていたというのもあって、負けても最後まで指したいという気持ちがあったのでしょうが、それ以上に勝敗がつくまでやりたかったのかなと思います。
負けて悔しいという思い、特に泣くほど悔しいというくらい夢中だったということなんでしょう。私も、小学校の高学年で悔し涙を流したのも将棋で負けた時でしたので、悔しくて泣けるという気持ちがどういうものかわかりますし、小学校の頃からそれくらい泣けるというのは羨ましくも思います。
私は思います。悔しく思えるということはそれだけそのことに全力でぶつかったからだと。それが泣けるほどというのは、相手のせいで負けたというのではなくて、自分のせいで負けたことを自覚しているからだと。
そういう悔しさというのは、次にどうしたらよいか、何がダメだったのかなど自分で考えながら悩んでまた次につなげていくための努力をしていたなと今となっては思うところでもありますので、悔しく思えるということも一つの原動力になると思います。
私もまずは失敗したり負けたりして悔しく思えるほどにやり遂げることができるものを作りたいと思いました。
2.目の前の対局に集中することが濃密な経験を生む
藤井六段はプロを目指す環境に恵まれていたのか?
藤井六段が幼少期の時に遊んでいたおもちゃが売れたり、奨励会入会前に通っていた将棋教室に生徒が殺到するなど大盛り上がりを見せているというニュースをみました。
藤井六段が将棋を始めた頃はインターネットが普及していたり、コンピュータやAIが将棋の分野で発達していたということもあり、将棋の研究をするには申し分のない環境で思いっきり将棋を指して、プロに行けたという意見もあるかもしれません。
私も、藤井六段の将棋を初めてNHKで見た時は、コンピュータの将棋をよく勉強しているなという印象があったので、コンピュータ将棋で強くなったタイプの子なのかなと思っていました。
しかし、本書を読んで実際は違っていたのだなと思いました。杉本七段が言うにはコンピュータを使っての研究はほとんどしていなかったようです。
コンピュータを使うのは対局した時の形成判断が自分の感覚と合っているのかを確かめる程度に使用はしているようですが、それ以外ではあまり使っていないとのことでした。
ただ、将棋を始めたときの藤井六段の将棋の環境は恵まれていたと思います。
まず、はじめに通った将棋教室の先生が将棋の戦法や技術的な指し方を指導者の目線で教えるような方ではなく、あくまで詰め将棋など将棋に強くなるための最低限の基礎しか教えなかったこと。これによって、藤井六段が自由な発想で将棋を指せたのではないかと思います。
そして、両親の存在です。藤井六段が将棋に負けたからと言って怒る両親ではなく、対局の邪魔にならないように見守るようにされていたようです。
また、杉本七段に弟子入りした際も忌憚なく兄弟子たちと将棋を指してお互いを高めていける環境があったというのも良い環境だったと思います。
しかし、藤井六段は名古屋という比較的交通の便が良いところにいたというものの、奨励会の手合いは大阪か東京の2つしかない棋院のどちらかに行かないといけない(=強い子は大阪付近か東京付近のエリアに集まっている)など、プロを目指すには対局数というところで不便なところでした。
その不利を補うために師匠の杉本七段が手合いを準備した旨の記述もありますが、そういうプロを目指すものとして恵まれていない環境こそが藤井六段の対局に対する集中力を高めていたということも藤井六段にとっては良かったと師匠の杉本七段は言います。
つまり、藤井六段は対局数が少ないという限られた状況下だからこそ、その対局への集中力が高まるのであり、一回の対局で濃密な経験をしてきたんだということです。負ければ悔しくて大泣きしていたというのも1局を大切にしていたからだろうと思いますし、対局の際には安全な手よりもハイリスクハイリターンの手を指していたのも結果的に対局での経験を濃密にさせたのだろうと思います。
この話は、実は藤井六段だけではなく、羽生永世七冠にもいえるものだったりもします。
羽生永世七段も幼少期は週末土曜日の3時間しか対局する機会というのはなかったそうです。その3時間の間に指せる1局1局にかけていたからこそ将棋への集中力を高めることができたのではないかと思います。
私も、仕事の時に相手に踏み込むのが怖かったり、失敗するのが怖かったりで、守りの手で行くことがしばしばあるなと痛感してきているところですが、そんなことを続けても良い経験を得ることはできないのだなと改めて気づかされました。
3.受け身で素直ではプロにはなれない
将棋でプロになるためには、対局で結果を出して四段に昇段しなければなりません。四段に昇段するまでは、対局でお金をもらうことはできません。
それが将棋の世界で、プロになる惜しいところ(三段になる)では意味がない世界です。
そして、そのプロを目指す奨励会にはいわゆるその年の世代の天才と呼ばれるような人々しか所属していません。その世界でプロになれるのは2割くらいとのことです。
奨励会に入るために相当の努力をしてきたのに、そこで生き残るための結果を出すためにさらに精進しないといけない世界で生き残っていくための性格として、杉本七段もこういう性格の子が生き残っていくというのを書かれています。
その中の一つに、指導に受け身でなんでも言うことを聞く素直な子はプロになるのは難しいといいます。
将棋を指して自分と向き合っていく中で、自分の武器は何かということに気付いていき、自分の武器を磨き上げていくことが必要だということで、そこを磨き上げていくためには何が必要で何が必要ではないかを自分で考える必要があるとのことです。
その武器を磨き上げていく中で師匠からのアドバイスが不要だと判断したときはそのアドバイスに従わないということ(=頑固さ)が強くなるのに必要なんだということです。
杉本七段も、奨励会時代に自分の強みは「将棋に対する体力」だということに気づき、これを生かす指し方というのは今までの戦法を変えないと生かせないことに気が付きます。それは杉本七段の師匠の一門の方針に反するやり方でしたが、武器を磨くためならばと師匠に隠れてでも研究を続けたそうです。
結果的に師匠にとがめられることなく黙認されていたようですが、仮に杉本七段が師匠からその戦法はやめろと言われていても従わなかったのではないかというくらい強い意志を感じました。
師匠や目上の人からいただいたアドバイスを取り入れないという選択をするというのは難しいことだと思うのですが、考えた末に自分に合わないアドバイスだと思ったら取り入れないこと(=素直ではない)ことも必要とのことでした。
私も、この話を読んで、素直さというのはどういうことなのかを考えました。
私自身、仕事上で必要だと思ったことは考えた挙句、積極的に行動するタイプだと思っていました。しかし、そういった積極的な行動をする中で、その行動に対して上司に指示や命令あるいは注意をされたら、無条件に取り入れて私の考えていたことと違う方向に進んでいるにも関わらず取り入れてきたことがあるなと思います。
本当に自分で積極的に行動するというのであれば、私自身が行動に出た時の目的と違うのであれば反論したり指示に従わないということも覚悟した上で行動すべきだったのではないかと思います。積極的に行動しているように見えて、責任を取りたくないために途中で受け身な行動をとっていたのではないかと考えるようになりました。
仕事というのはその道のプロを目指すものだと思えば、将棋の世界でプロ棋士になるということにも通ずるものがあるなと思います。
その道のプロを目指すならば、うわべだけの積極性ではなく、芯から曲げない信念みたいなものを持たいなとその道のプロとして成功することはできないのかもしれないと思った今日この頃です。そのためには、自分で考えてどうしても納得のできないことは受け入れないという勇気も必要だなと思いました。
私は本書は自己啓発的な意味で気づきが多い本だと思いました。
もちろん、そんな読み方以外もできる本です。特に今話題の藤井聡太六段を直に見てきた師匠が書いた本ですので、将棋の話題として読むにも十分に面白い本だと思います。
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