「ええ。愛です。愛ですとも。いつも、何をしていても、誰かのことが頭の中に浮かぶのなら、それは愛に他なりません。」
ギャンブルをするとき、あなたに基準はありますか。
競馬ならば馬の血統で馬券を買う人もいれば、馬の成績やコース実績を見て買う人もいます。あるいは乗っているジョッキーで買う人もいれば、オカルトで買ったり、誕生日で買ったりします。
また、パチンコやスロットなら前日のデータなどを収集して台をとる人もいれば、自分の打ちたい台を打つ人、オカルトで打つ人、様々なスタイルがあると思います。
しかし、いざギャンブルに行って負けが込んだりしてくると、普段緻密に予想をするタイプの人がオカルトに走ったり、逆にオカルトに走っていた人が急に不慣れな予想をしたりすることがあります。
そして、いつも通りに予想していたら勝てたのにと後悔することがあると思います。
私も、普段通りに予想して馬券を買っていれば当たったのにと悔しい思いをしたことも一度や二度ではありません。
また、いわゆるプロギャンブラー並の知識や技術を手に入れても、ギャンブルの勝率自体は素人と変わらないとも言われています。
ギャンブルで勝つためには、勝負するときの基準を貫き通さないといけないのかもしれません。
今回は、ライトノベル『賭博師は祈らない③』の感想を書いてみたいと思います。
前巻は温泉地バースへ行く途中にトラブルに合ったラザルス一行でしたが、トラブルを解決し新たな旅の仲間を得て温泉地へ無事に到着したところからの話になります。
それでは早速を書いてみたいと思います。
1.トラブルに巻き込まれるまでが長すぎて…
まず、今巻の私の率直な感想は退屈だったという感じです。
ラザルス一行がトラブルに本格的に巻き込まれるまでの間の過程が長すぎて、ラザルス一行同様にいつトラブルに巻き込まれるのか?という感じでした。
また、今回のメインのギャンブルであるトランプ版の麻雀は、ルールを飲み込むのにややわかり辛い印象があり(年のせいかもしれませんが…)、ルールがわかったところでそんなに面白そうな感じがしないという…
さらに、主なギャンブルはそれだけで、あるキャラとのギャンブルはほとんど遊びみたいなものだったので、全体を通じて読み進めにくい印象がありました。
そのせいか、この巻を読むだけで1週間を要してしまうという…。特に序盤は読み進めにくかったなというのが私の印象です。
2.バース、ギャンブルでなし上がれる場所のはずが…
今回、ボスである儀典長はさすがにギャンブルで地位を得た者なだけあり、かなりの手練れという印象はありました。賭博師ラザルスと戦うには十分というか狡猾でギャンブルに相当強い印象がありました。
ただ、今回、その儀典長と争う副儀典長がなんというか…
お前、どうやって、ギャンブルの盛んな街でのし上がることができたのかというくらいにギャンブルに弱いイメージがぬぐえませんでした。本当に、一言で言ったらザコい。
文章上「ギャンブルではかなりの手練れ」みたいなことを書いているのですが、下手するとその辺の素人でも勝てるんじゃなかろうかと思うほどです。
よくそんなんで副儀典長までなし上がれたなと思うほどに弱く、もうちょっと強く書いてあげることができなかったのだろうかと思いました。
3.ラザルスとリーラが踊るシーンはキュンキュンする
なかなかギャンブル面と展開面で私的にどうかな?と思った今巻ですが、ラザルスとリーラの関係にはキュンキュンするシーンが私的にはありました。
今巻はある事件をきっかけにラザルスが拾ったジュリアナが病的なまでに父親への愛情を見せるのですが、一方で「幸せとは何か?」というテーマも彼女を軸に考えさせられた部分があったように思います。
まず、ラザルスが考えるリーラの幸せとは「自分で考えて自分で判断し、自由に生きること」なんだろうと考えている節があります。そして、おそらく奴隷という身分=不自由で不幸なものという考えがあるものだと思います。私も奴隷と聞くと不幸なものとか可哀想なものと考えてしまいがちです。
しかし、リーラは本当に不幸なのか?、リーラにとっての幸せとは何なのかということは実はラザルスが考えるものではなくてリーラ自身が感じることが重要だということです。
ジュリアナは正直、読んでいて可哀想な子だなと思いますが、本人はその状況を幸せに感じています。
それと同様にリーラもはじめは嫌だった奴隷生活もラザルスと過ごすことで奴隷でも良いからラザルスと一緒にいることが今の幸せだと感じるようになっているということなのかなと思います。
その幸せの象徴がラザルスへ自分自身の本当の名前を教えるシーンであったり、ラザルスと一緒に観劇をするシーン(デート)や、屋外で音楽に合わせて不格好に踊るシーンだったのかなと思います。
ラザルスとリーラが踊っているときに、こけてリーラが笑い声を上げるシーンがあるのですが、ここは挿入されている絵もあり、とても綺麗なシーンだったなと思います。
と、今巻は読み進めていく中で本当に退屈だったなと思う反面、ラザルスとリーラが踊るシーンは本当に良かったなというのが感想になります。
ラザルスが賭博師として非情になれないことに戸惑うことは前巻から変わらずですが、どこかで賭博師としての在り方に決着が付く日がくると思いますので、ここは楽しみにしていきたいなと思います。
愛ゆえに非情なことができず賭博師として致命的なダメージを得るのか、賭博師としてより成長するのか。ただ、愛ゆえに人は悲しまねばならん事態だけは避けてほしいなと思うところでございます。
ちなみに、あとがきで知ったのですが、このシリーズはラブコメだったみたいで…
どこに、コメディ要素ありましたっけ?
そんなわけで、次巻以降も楽しみに待ちたいと思います。
ギャンブルをするとき、あなたに基準はありますか。
競馬ならば馬の血統で馬券を買う人もいれば、馬の成績やコース実績を見て買う人もいます。あるいは乗っているジョッキーで買う人もいれば、オカルトで買ったり、誕生日で買ったりします。
また、パチンコやスロットなら前日のデータなどを収集して台をとる人もいれば、自分の打ちたい台を打つ人、オカルトで打つ人、様々なスタイルがあると思います。
しかし、いざギャンブルに行って負けが込んだりしてくると、普段緻密に予想をするタイプの人がオカルトに走ったり、逆にオカルトに走っていた人が急に不慣れな予想をしたりすることがあります。
そして、いつも通りに予想していたら勝てたのにと後悔することがあると思います。
私も、普段通りに予想して馬券を買っていれば当たったのにと悔しい思いをしたことも一度や二度ではありません。
また、いわゆるプロギャンブラー並の知識や技術を手に入れても、ギャンブルの勝率自体は素人と変わらないとも言われています。
ギャンブルで勝つためには、勝負するときの基準を貫き通さないといけないのかもしれません。
賭博師は祈らない(3) (電撃文庫) | |
周藤 蓮 | |
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス |
今回は、ライトノベル『賭博師は祈らない③』の感想を書いてみたいと思います。
前巻は温泉地バースへ行く途中にトラブルに合ったラザルス一行でしたが、トラブルを解決し新たな旅の仲間を得て温泉地へ無事に到着したところからの話になります。
それでは早速を書いてみたいと思います。
1.トラブルに巻き込まれるまでが長すぎて…
まず、今巻の私の率直な感想は退屈だったという感じです。
ラザルス一行がトラブルに本格的に巻き込まれるまでの間の過程が長すぎて、ラザルス一行同様にいつトラブルに巻き込まれるのか?という感じでした。
また、今回のメインのギャンブルであるトランプ版の麻雀は、ルールを飲み込むのにややわかり辛い印象があり(年のせいかもしれませんが…)、ルールがわかったところでそんなに面白そうな感じがしないという…
さらに、主なギャンブルはそれだけで、あるキャラとのギャンブルはほとんど遊びみたいなものだったので、全体を通じて読み進めにくい印象がありました。
そのせいか、この巻を読むだけで1週間を要してしまうという…。特に序盤は読み進めにくかったなというのが私の印象です。
2.バース、ギャンブルでなし上がれる場所のはずが…
今回、ボスである儀典長はさすがにギャンブルで地位を得た者なだけあり、かなりの手練れという印象はありました。賭博師ラザルスと戦うには十分というか狡猾でギャンブルに相当強い印象がありました。
ただ、今回、その儀典長と争う副儀典長がなんというか…
お前、どうやって、ギャンブルの盛んな街でのし上がることができたのかというくらいにギャンブルに弱いイメージがぬぐえませんでした。本当に、一言で言ったらザコい。
文章上「ギャンブルではかなりの手練れ」みたいなことを書いているのですが、下手するとその辺の素人でも勝てるんじゃなかろうかと思うほどです。
よくそんなんで副儀典長までなし上がれたなと思うほどに弱く、もうちょっと強く書いてあげることができなかったのだろうかと思いました。
3.ラザルスとリーラが踊るシーンはキュンキュンする
なかなかギャンブル面と展開面で私的にどうかな?と思った今巻ですが、ラザルスとリーラの関係にはキュンキュンするシーンが私的にはありました。
今巻はある事件をきっかけにラザルスが拾ったジュリアナが病的なまでに父親への愛情を見せるのですが、一方で「幸せとは何か?」というテーマも彼女を軸に考えさせられた部分があったように思います。
まず、ラザルスが考えるリーラの幸せとは「自分で考えて自分で判断し、自由に生きること」なんだろうと考えている節があります。そして、おそらく奴隷という身分=不自由で不幸なものという考えがあるものだと思います。私も奴隷と聞くと不幸なものとか可哀想なものと考えてしまいがちです。
しかし、リーラは本当に不幸なのか?、リーラにとっての幸せとは何なのかということは実はラザルスが考えるものではなくてリーラ自身が感じることが重要だということです。
ジュリアナは正直、読んでいて可哀想な子だなと思いますが、本人はその状況を幸せに感じています。
それと同様にリーラもはじめは嫌だった奴隷生活もラザルスと過ごすことで奴隷でも良いからラザルスと一緒にいることが今の幸せだと感じるようになっているということなのかなと思います。
その幸せの象徴がラザルスへ自分自身の本当の名前を教えるシーンであったり、ラザルスと一緒に観劇をするシーン(デート)や、屋外で音楽に合わせて不格好に踊るシーンだったのかなと思います。
ラザルスとリーラが踊っているときに、こけてリーラが笑い声を上げるシーンがあるのですが、ここは挿入されている絵もあり、とても綺麗なシーンだったなと思います。
と、今巻は読み進めていく中で本当に退屈だったなと思う反面、ラザルスとリーラが踊るシーンは本当に良かったなというのが感想になります。
ラザルスが賭博師として非情になれないことに戸惑うことは前巻から変わらずですが、どこかで賭博師としての在り方に決着が付く日がくると思いますので、ここは楽しみにしていきたいなと思います。
愛ゆえに非情なことができず賭博師として致命的なダメージを得るのか、賭博師としてより成長するのか。ただ、愛ゆえに人は悲しまねばならん事態だけは避けてほしいなと思うところでございます。
ちなみに、あとがきで知ったのですが、このシリーズはラブコメだったみたいで…
どこに、コメディ要素ありましたっけ?
そんなわけで、次巻以降も楽しみに待ちたいと思います。
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