じんべえ時悠帖Ⅱ

例幣使街道フィニッシュ

 一泊して日光例幣使街道をフィニッシュして来た(5・6日目)。

ゴールは壬生街道(日光街道西往還)との合流点、楡木(ニレギ)追分。

その前に4日目の紹介を終わらねばいけない。

 東武伊勢崎線の福居駅(八木宿)から4日目をスタートして次の

梁田宿に入ったところ。県道128号から左折して旧道になるあたりが

梁田宿。曲がると数百メートル先に渡良瀬川の土手が見える。

 長福寺の入口に宿場碑が立つ。渡良瀬川の川留めに備え本陣が2軒

あったそうだが、その情報はない。

 慶応四年(1968)、東日本での戊辰戦争の最初の戦いがここ梁田で

起き、不意を突かれた幕府軍が完敗、数十名の戦死者を出した。長福寺

境内に「戦死塚」が立つ。

 渡良瀬川の土手に出ると360度の眺望である。ここは舟渡しだったと

いうが渡しの名は不明。遠く薄く見えるのは筑波山だろう。下流へ向かい

500mほどの川崎橋を渡り対岸の土手道を渡し場あたりまで戻る。

 渡良瀬川を渡った例幣使が必ず立ち寄り野点(ノダテ)をし和歌を

読んだのが渡った先の土手下の川崎八幡宮。

 ここに三人の例幣使の短冊が残るが、左端は玉村宿本陣脇に歌碑が

あった綾小路有長のものである。

 例幣使街道の旧道は渡良瀬川の土手下を次第に離れ県道128号を縫う

ように進むが多くは失われている。尾名川、出流川と渡った後で県道を

左折し北に向かう。県道名はないが広いダンプ街道である。

 その脇に残る旧道を進むとやがて前方に小山が見えて来る。「岡崎山

古墳群」と言うらしい。戦前に昭和天皇が陸軍大演習を「統監」した山

でもあるらしい。街道はこの山裾の坂へと右折して行く。

 坂を上り切ったところにも元三大師の看板があるので旗川沿いを

辿って寄ってみることにする。岡崎山を一周するのではないかと思う

頃やっと門前に着く。

 約20分の寄り道を終わって例幣使街道に戻り、旗川に沿って北へと

向かう。まだ11時過ぎ、昼には佐野に着いて佐野ラーメンを食べよう。

 次回は4日目のゴール、佐野宿である。

 


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