自燈明・法燈明の考察

信じてきた事の瓦解

 さて、「お金」の事については現在関連資料を読み込み中で、まとまったら文書にしようと思っていますので、もう少しお時間ください。

 今回も私の思想遍歴について少し書いてみます。

 前の記事で私が活動を辞める事まで書きました。ここでは活動を辞める際の組織とのいざこざ等を書く事が主眼では無いので、組織上の詳細は割愛します。

 その昔、タレントがカルトに嵌り、そこから抜け出す事に大変苦労している姿をテレビで見ていました。当時の私は創価学会でバリバリに活動していましたが、まさか自分がそれに近い苦悩を抱え込むとは、当時は想像もしていなかったのです。

 活動を辞めると決めた時、私には三つの大きな心配がありました。

①身内家族の事
 私の嫁も当時は「ヤングミセス」という、若い婦人部のグループで活動をしていました。旦那が組織を離れた場合、それなにり嫁にも心労をかけてしまうだろうと言う事。また嫁の実家も創価学会では地域の幹部をしており、自宅を拠点にしている人でしたので、果たして義父や義母はどう思うんだろうか、という事です。
 私の母親は、活動家というほどでもなく、既に所属する地域も違っていたので、それほど気にはなりませんでした。

②友人・知人の事
 前の記事にも書きましたが、私が日常的に交流していた人間関係の8割以上が創価学会の活動家幹部という状況でした。彼らは一体、私の事をどの様に思うのだろうか。また先輩幹部などは、恐らく私の状況を知ると「激励」と称して連絡を取ってくるだろう。その対応を考えると、とても憂鬱にもなりました。
 また「友人」と思っていた人達も激減するだろうと思いましたが、それはそれで致し方ない事だと、活動を離れた時点であきらめもしたのです。でも先日まで「三世永遠の同志」なんて認め合っていた様な人間関係は意外と儚いものだと思いました。

➂自分の信じる事
 創価学会の活動を離れる事は、今までの生き方を自分自身で否定する事にもつながります。何故なら当時の私は「創価学会に着いていく事、一途に組織を守り大きくする闘い」という事が、自身の一生の安泰にもつながるし、何があっても乗り越えられる源泉と信じてきました。しかしそれを自ら手放す事にしたのですから、これから先の人生どうしたら良いのか、当時は「皆目どの様になるのか、見当つかぬ」という感じでもあったのです。

 という訳で、自分自身で「活動を辞めたる!」と決意はしたものの、実は個人的に様々な部分で不安な事だらけでした、またそれを相談する相手もいません。
 よく「信心に悩んだら先輩幹部に相談」と言う言葉がありますが、私が組織活動を辞めようと思った理由は、そんな表層的な事ではありません。自分が信じてきた事自体、創価学会の組織から否定をされた様なものだったので、それを敢えて「先輩幹部に相談」なんて事は思いませんでした。そんな相談をしたところで、返って来る言葉は百も承知でしたし、そんな言葉を貰った程度で、「明日から頑張ります!」なんてレベルのものでも無かったのです。

 創価学会では「会員が主役だ」と言い、「会員を守る・会員を大切に・影の戦いに徹する」と男子部時代に教わってきましたが、実は創価学会でこれをやろうとすると、結果としては組織運営で弊害が出るという事を、目の前で見させられました。
 地区部長の打診を受けた時、先輩幹部にそれを訴えたのですが、先輩から言われたのは「新聞部数の五百五十万部維持が大事」「公明党は自民党を利用しているのだ」ばかり、最後には「じゃあいらない!」とまで言われてしまったのです。

「いい加減に創価学会の現実を受け入れろ!蒼い事ばかり言うんじゃない!」

 これが先輩の結論でした。
 おいおい、私が男子部で二十年以上に亘って学んできた事、仲間と語らい後輩や友人に語って来た事は夢絵空事だったのか。では私は何を「夢見て」四半世紀近く生きてきたのか。

 まさに目の前で自分自身の思想が瓦解するというのが、この時の実感だったのです。


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