この私自身の思索歴について、まだまだ続けます。
創価学会に長くいると、どうしても池田大作第三代会長の事は、様々な意味で避けて通る事は出来ません。
私が男子部に入った当初に教わった池田氏とは「信心の先輩であり、模範とする姿の人」でした。しかし思い返すと第二次宗門問題あたりから、「師弟」という事が強調されはじめ、最初は電話回線で始まった本部幹部会同時中継も、師匠である池田氏と会員を、より強固に結びつけるという目的であると聞かされたのです。
いやいや、師匠と言っても直接合って話を聞いたり、物事を教わっているわけでは無いし。
私の中には常にそういう疑念が払拭出来ずにいました。この事について当時の先輩に相談すると。
「斎藤!それはお前の宿業なんだ!それは変えるべき命の傾向性なんだ!」
つまり池田氏は宿縁深い師匠であり、その師匠を熱狂的に求め信じる事が創価学会の信心の要だと言われたのです。
「池田先生は太陽であり、私達の父親の様な存在だ」
まあ当時の私は、兎に角、先輩の言う通りに創価学会の信心をやっていこうと決めていたので、この池田先生の書かれた「小説・人間革命」や、その他の書籍や対談集などを貪り読んで行きました。
文体は人を表す。
私は学生時代、よく神田の古本屋街に行っては100円とか200円で文庫本を買っては読んでいました。一日に一冊は読んでいましたので、数百冊は読んでいました。
人間革命はとても面白く、まるで歴史書の様でもあり、人間模様の物語であり、こんな文書を書ける人は、とても素晴らしい人なんだと勝手に感服してしまいました。
そこから私の中では「池田先生は師匠として求めるべき人」という思いが出始めたので、創価学会における原点の一つであった事は間違いありません。
歌手で俳優でもある武田鉄矢氏は、若き頃に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み、そこから坂本龍馬に魅了されたらしいのですが、これに似たようなもので、私は人間革命で池田氏に魅了されたという事なんでしょう。
そんな魅了された池田氏について、やはり活動を離れた時に、私の中である想いが湧き上がりました。
「池田大作という人物を見て、ひたすら走ってきたけど、そもそもどんな人物なんだろうか」
創価学会ではよく「池田先生にお会いする」という言葉があります。私の母親も昭和四十年代に、地元の会館に池田氏が来た時に間近に見た事があると話していて、彼を「勢いのある人」とか言ってました。私も創価班の任務をしていた時に、数回ほど間近に見て、ある時などは「担当創価班に」という事で、お小遣いとして数千円を貰った事もありました。
漏れ伝わる様々な話で、様々な人物像を聞いてはいましたが、思い返せば実像感ある池田大作というのを、私自身、創価学会に四半世紀近く居たのに、何も知らなかったのです。
やはり「ひとつのケジメ」ではありませんが、池田大作という人物に少しでも肉薄したい。そう思いたち、動くことを始めたのです。