自燈明・法燈明の考察

パックスアメリカーナの時代

 早いもので今週も終わりです。関東地方も今週末には梅雨明けかと言われていますが、本日もすでにいい天気の中、気温は30度を超えています。酷暑もいよいよ開幕となりますね。

 さて、今日の記事は少し「陰謀論」に掠る様な内容について書かせてもらいます。以前にSDGsの事について記事を書かせてもらいました。


 先日、熱海で土砂災害が発生し、そこでは「盛り土」が話題となりましたが、その盛り土された現場の近くには太陽光発電の設備があり、そこでも森が伐採されていた事も、今回の土砂災害の要因ではないかという話もありました。


 いまテレビのコマーシャルなどでも「地球に優しい」「環境に優しい」なんて言葉があふれ、自動車もこれから先は電気自動車が主流となるようですが、電気自動車が主流となり、電気に依存を強めた社会になれば、当然、電力供給がそれに見合った形で必要となります。そうなるとソーラー発電ばかりではなく、火力発電なども必要になってきますが、ここ最近の環境問題に端を発する炭酸ガス排出問題を考えると、原子力発電というのも視野に入れざるを得なくなってしまいます。
 しかし日本では今から十年前に福島第一原子力発電所の事故があってから、原子力発電所への風当たりが強くなっており、安易に原子力発電への依存を大きくするという事は出来ません。太陽光や風力、水力、あとは地熱発電などを考えても、もしこれ以上電気依存の生活を進めた場合、日本社会では、こういった矛盾に対して正面から向きあう必要も出てくるのではないでしょうか。

 思うに今の人類社会は「パックスアメリカーナの世紀」と呼ばれる節もあったりしますが、その根底にあるのが「大量生産・大量消費」という思想です。先の記事でも「豚の生涯」という事で紹介をさせて頂きましたが、人が生きていく糧として殺生する豚についても、その中で結構な分量の豚肉が「廃棄処分」となっていて、まさに「豚の無駄死に」をさせているのも、根底にあるのはこの「大量消費」という文化であればこそでしょう。

 これは何も豚に限った事ではありません。今の人類社会の中には、様々な無駄がありますが、その無駄を是正するという事を考えた時、「大量生産・大量消費」という仕組みについては、根本的に見直しをしなければなりません。しかしこの見直しをする事で、実は様々な企業活動で利益を得る事が出来なくなってきますし、企業活動で利益が出ないという事は、つまるところ社会の雇用悪化を招く事になってしまいます。

 「私有財産を認めず、経済活動を国家の統制のもとで進める」というのが、共産主義でしたが、実際に共産主義は「20世紀の偉大なる実験」と揶揄されるがごとく、今の世界では姿を消し去っています。一部で残っていますが、中国も実質的には市場経済主義を導入し、実態としては資本主義です。北朝鮮については論じるまでもありません。

 今の人類社会は資本主義が中心となり、そこに「大量生産・大量消費」というパックスアメリカーナ(こんな呼び方は正確では無いかもしれませんが、とりあえず使わせてもらいます)の世界では、どう考えても人類はこの地球環境(動植物の環境)を破壊する事でしか社会を維持できないようにも思えてきます。だから国連を主導としての「とりあえずの手段」として、人類目線の「持続可能な開発目標(SDGs)」なんて決めて、如何にも地球環境に配慮した形を作っていますが、今のままでは早晩、人類の住む地球環境は大きな手詰まり状態を迎えてしまうのではないでしょうか。

 いま日本では「東京オリンピック」と「新型コロナ禍」の話題で持ち切りですが、世界を俯瞰して考えた場合、それ以上に大きな問題というのが、実はゴロゴロと転がっていて、それこそ今の文明の存続にも関係する問題がごまんとある様に思えてならないのです。

 この問題は一朝一夕に解決する事なんて出来ませんが、一人ひとりが気付く事がまず大事な事だと、私は考えています。


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