「人生とはそんなモノ」と大上段から構えて云う事では無いと思いますが、五十代を過ぎて、ふと自分の人生を顧みた時に、この人生というのは実に不如意でありながら、その底辺には何かしらの決められた流れがある様に感じてしまうのです。
ここからは私の私見で書きますが、私は次男であり、私の人生、親の考えた事とは違う歩き方をして来ました。
よく長男は親の期待を背負い、次男は好き勝手に生きるという話を耳にしますが、子供の頃の我が家で、我が兄弟もそれに近い感じの人生を歩んできました。
私の兄は成績もそこそこ良く、高校生の時には進学校で生徒会役員にもなり、卒業後は専門学校へ進学、そこでもそこそこ成績が良くて、とある大企業に就職しました。
一方で次男の私などは、高校は工業高校で、入学してから成績はだだ下がり。しかも物好きな事に、友人とバンド組んだりしてベース・ギターやドラムを叩きながら、適当な高校生活を送ってました。卒業後は何をトチ狂ったのか、デザイン学校に進み、そこを中退した後、紆余曲折を経てベンチャー企業のシステム開発会社に中途入社。そしてそこからまた紆余曲折があって、今の仕事をしています。まあIT関連企業ではありますが。
亡父からは「瀬戸物は失敗したら、叩き割って作り直せば良いが、ヒトはそうはいかんな!」とよく言われ、まさに昭和世代を生き抜いてきた両親の思惑とは全く異なる人生を送り、ここまで生きてきたという感じです。
ただ思うのは、私の場合、確かに傍から見たらふらりフラリの生活を送ってきた様に見えて、人生の大事なポイントで良き人に出会いながら、まるで綱渡りの様に仕事にめぐり逢い、今に至ってます。過去に創価学会で活動していた当時「これこそ信心の功徳だ!」なんて思ってましたが、活動止めてもこれは変わらずに、今に至る事を考えると、創価学会の信仰とは関係なく、こういう一見綱渡りの様な人生に見えて、実は何かしらの「約束事」の様に、人生の大枠がどこかで決まっていて、自分の選択により、それらの人達に巡り会えたのかとも思うのです。
確かにこれまでの人生、けして平坦な道程ではありませんでした。何度も躓き、袋叩きの様にされた事もありますし、言われた通り登ってみたら、ハシゴを外された事も幾度か経験してきました。酷いときには「自分の心が壊れていくなぁ」という事を実感した事もありました。しかし生き続けていれば、どこかで人と出会い、次のステップへと移れるという事の様でした。しかもこのステップというのが、苦しい事を避けていたとしたら、絶対に出会えなかったであろうタイミングで全て出会ってきています。
幾つかの過去世の研究をしてきた臨床精神科医のJLホイットン氏の書いた「輪廻転生ー驚くべき現代の神話」では、人は生まれる前に、そこで人生の出来事をある程度、自分で決めて生まれてきているという記述がありました。そしてそれは自身の魂の成長(というか成長の為に克服すべき課題を決めて)の為だと言います。
ホイットン氏によれば、それがカルマの本質であり、仏教で語る宿業(カルマ)論ではありません。
私なんかは、この年齢まで生きてきて、宿業論よりもこの話の方が、何か自分自身の中にストンと落ちました。つまり様々な経験、これは楽しいことや苦しい事を含めて全てがそうなんだと。大事な事は、目の前の出来事一つひとつにオタオタしない。常に自分の未来を信じて生きていく。そういう事なのでは無いでしょうか。
ある人の話でこんなものがありました。それはどんなに苦しくても死んではいけない。生きていれば解決しない事なんて一つもないのだ。という言葉です。
多分人生というのは、そういったモノなのかもしれませんね。