自燈明・法燈明の考察

日本の神の概念から考える事

 ここ最近の話題で、安倍元総理の葬儀を国葬にすべきか、そうでないかという事があります。私個人の意見で言えば、今の状況、これは統一教会との関係性や、そもそも森友・加計学園の問題もありますので、国葬をして祭り上げられ、結果としてこういった問題そのものへの言論が封殺される可能性も考えられるので、国葬には反対(国葬への必要性を感じません)です。よく諸外国からの弔問も多く、元総理は評価されているからという事で、国葬の必要性を述べる人もいますが、そんな外国の意見以前に、日本社会として国葬にする意味を考えるべきだと考えています。

 これは私のTwitterでは書いている事ですが、日本人精神構造には「判官贔屓」というものがあります。この語源は「判官」とは源義経を指しますが、簡単に言えば「死者には鞭を打たない」という事と、やもすれば死んだ人については、殊更美化してしまうという事です。
 源義経は今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、俳優の菅田将輝氏が演じていましたが、当時としては破天荒な戦術を使い、希代の戦術家とも言われています。彼の行動は平安末期の武将からすれば、やもすれば非常識な面もあったようで、それもあって後白河法皇から源頼朝の討伐の宣旨が出た際、源義経の元には兵が集まらなかったとも聞いています。
 恐らく源義経には良い面、悪い面の両方が備わっていたのですが、不遇の死を遂げたことで、後世に良い面ばかりが誇張され、悪い面は歴史の表にはあまり出て来なかったのでしょう。これを「判官贔屓」と呼んでいます。

 現に大河ドラマを見ても「草燃ゆる」や「鎌倉殿の13人」では、かなり実像に近い姿が描かれた様に思いますが、日本人の多くがもつ義経像は、過去にタッキーが主演した牛若丸時代からの美少年で、残酷な兄の源頼朝に誅殺された悲劇の弟、源義経像が記憶されているのではないでしょうか。

 またもう一つ。日本人はとかく大人物(世の中に影響を与えた人物)を神格化をしてしまいます。そして日本人が崇拝する神、これは主に神社に祀られている神様ですが、そういう神格化された人が入ったりしています。

 欧米でいう神とは、一神教のエホバとかヤハベという天地創造の絶対神を指します。またアジア等の神は、どちらかというと自然の中に見える様々な働き、例えば太陽とか月、また水等の中に神性を観じて神々としています。まあ大梵天や帝釈天はヴェーダ神話に書かれている神ですけどね。多くは自然の中に見える働きを神としています。
 日本も基本的はアジアの神々を、神と呼んでいますが、それと共に歴史的な人物や偉業をなした人物を神とする精神性があります。
 例えば「天神さま」として九州大宰府天満宮に祀られているのは藤原道真ですが、彼は優秀な公家でありながら左遷され九州大宰府に移り、そこで憤死したと言われています。そのために当時の京の都では疫病や様々な災害に見舞われ、これは藤原道真公の怨霊が起こしていると恐れられ、それを治めるために、彼を神として祀った事が始まりでした。
 近年では東郷神社には日露戦争の連合艦隊司令長官であった、東郷平八郎が祀られており、江ノ島の児玉神社には、同じく日露戦争陸軍総参謀長であった児玉大将が、また乃木神社では同じく日露戦争で203高地の指揮官で、後の昭和天皇の守役であった乃木大将が祀られています。

 この様に時代を象徴する人物を神として祀る文化は、恐らく日本人独特の精神性に基づくものではないでしょうか。

 私は今回の安倍元総理の襲撃と、安倍氏が亡くなった後の多くの人々の行動や政府の動きの中に、この「判官贔屓」と「日本独自の神格化」が現れている様に思えます。

 安倍元総理が襲撃されて以降、その弔問に訪れる人達をマスコミは映し出しました。そこに映し出される人々は感傷的な言葉を涙流して語る人もいたり、安倍元総理を偲ぶ人達が多く繰り出していました。また当時、安倍元総理の襲撃にはネットに溢れた、いわゆる「反安倍氏」の言動が、さも犯人の行動を増長させたという論が溢れかえり、まるで反安倍氏の言動をした人間が、今回の犯人の共犯者であるかのような言動が溢れていました。

 安倍元総理の行った政策として、アベノミクスがありますが、あの政策が本当に妥当であったのか、そこは未だ結論は出ていません。また一昨年前からの新型コロナのパンデミックでは、「アベノマスク」と揶揄された布マスク2枚を多くの予算を割いて全国民に配布したのは、まさに愚策と呼んでも良いでしょう。
 その他、北方領土変換では、ロシアのプーチン大統領を招いて会談をしましたが、あっけなく撃沈したのも有名な話です。プーチン大統領からは「もし北方領土を返還したとして、そこにアメリカ軍の基地を建設しないことを約束出来るか?」と言われ、「NO」と回答したことで、北方領土交渉は会談冒頭に頓挫しました。

 もちろん、それまで短期政権が続いた事で、諸外国からは「日本は誰に相談すれば良いのか」という事も言われていたので、長期に亘った安倍政権は、それなりに国益に叶っていたと思います。しかしまるで「神格化」するかのような、昨今の動きを見ると、果たして安倍政権に対する真っ当な評価を日本という国が今後行えるのか、そこは大いに疑問です。

 日本は過去に「大東亜共栄圏」という理想を掲げ、アメリカと戦争をしました。そして結果として大敗を喫してしまい、大日本帝国という国は滅びました。ではこの戦争では何が問題だったのか、掲げた理想はどうだったのか、取り組んだ政策や外交、また国としてどうであったのか。そういう大事な事の振り帰りもせずに、「戦争の罪」として一方的に連合国から裁かれ、教科書は連合国の指示で墨塗りされました。そして当時の大人達は、前まで「天皇陛下万歳」と言いながら、同じ口で日本国憲法を賛美して自由を語ってきたのです。

 要は自分達が行ってきた行動に対して、自分達で振り返ることもせず、省みることなく、ひたすら経済大国を目指して走ってきてしまいました。

 しかしその自分達で自分達の行動を省みなかった事から、戦後七十年になって「何が良かったのか」「何が悪かったのか」という社会基軸も脆弱さが露呈して、昨今の改憲論議にも見えるような、国としては未熟な議論ばかり先行する様になってしまいました。

 安倍元総理は確かに在任期間も長く、その政権期間にも様々な難問に直面しながら政権運営をしてきました。では、彼が行ってきた政治的な行動は、本当の意味で日本国民の国益に沿っていた事なのか、反したことは無かったのか、日本人として評価すべき事は多々あります。しかし「判官贔屓」「安倍元総理の神格化」という、日本人独自の制震構造が、その機会を失わせてはしないだろうか。

 私が危惧しているのは、その事なのです。

 安倍元総理が無くなったこと、これは残念な事ではありますが、それについて日本人として考えるべきことは多くあり、単に感傷的な事のみに目を向けて良しとすべきではありません。


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