このブログの更新頻度は、最近かなり低下していました。いやね、日々Twitter見ていると、ここ最近の日本や世界の「狂いっぷり」に辟易してきてしまうんですよね。本当に。これって私だけですかね。
日蓮は立正安国論で「神天上の法門」という事を言ってましたが、今の日本では、将来を憂う人が居ても、いい加減に嫌気が差して来るのでは無いかと感じますが、どうなんでしょうかね。国を憂う人たちが国を見捨てる。これも「神天上の法門」にあたりますよね。
しかもその日本の「狂いっぷり」の、ど真ん中にいるのが創価学会なんですから、やってられない気持ちにもなるってもんです。
まあ色々と言いたい事があるんですが、今回は私の嫁を通じて見える「創価学会」の問題点について書いてみたいと思います。
◆未来部育成週間
私の住む地域の創価学会では、八月を「未来部育成週間」と呼んで、未来部(小学生から高校生までの会員)を育てよう!と号令を掛けている様です。ただこの育成内容が聞いている限り、かなり組織内向きの目線で自己満足でしかないのが見え見えなんですよ。例えば座談会の司会を未来部のメンバーにやってもらおうとか、座談会で何かやってもらおうなんて話をして盛り上がっていました。また家庭訪問して未来部と仲良くなるのも大事だよね、なんて事を語って女性部(婦人部)あたりは盛り上がっていました。でもこれら全てに共通しているのは、当の未来部員の視点というのは一切ありません。果たして司会を一方的に押し付けられた利、壮年部や女性部(婦人部)が準備したアトラクションを座談会でやらされたとして、果たしてその未来部員が「創価学会は良い組織」とか感じますか?
私が創価学会に触れたのは中学生の時でした。当時、母親が参加する座談会に参加した思い出がありますが、正直、座談会に進んで参加したいとは思いませんでした。それよりも、当時、未来部担当者だった人達との人間関係の中で、創価学会に触れていく事が増えていたと思うのです。
高等部員になった時には、未来部担当者とは言っても、一定の距離を持ちながらも付き合ってくれていました。今から四十年近く前は、高等部員もそこそこ多くいたので、会合の企画や運営は高等部員でやれていました。だから地元の仲間との交流も楽しかった事の記憶があります。
また私が未来部担当していたのは少年部でした。月一回の少年部員会では手品をやったり、夏にはスイカ割りを企画したりしました。また部員会が終わったら、子供たちを連れて近所のマクドナルドへ行った事もあります。
思うに未来部員を本格的に育成したいのであれば、そこには男子部や女性部(女子部)の人材が欠かせないのではないでしょうか。やはり未来部と身近に付き合う場合、それはシニア層の壮年部や女性部ではなく、やはり二十代から三十代前半の年齢層の人材がどうしても必要だと思うのです。つまり青年部の人材層の厚み無くして、未来部育成は絶対に上手く行きません。考えてみて下さいよ、昔でいうお爺さん、お婆さんの世代ばかりの人達が、いくら小学生から高校生までの部員を周ったところで、そこに子供たちの共感が得られると思いますか?
得られるはずがありません。
では今の創価学会で、青年部の人材層はどうなっているかと言えば、これがもうペラッペラに薄くなってしまっていて、けして未来部担当をカバーできるだけの人材も居なくなってしまっていますので、これでは未来部育成どころではありません。
◆青年部層の人材育成について
ではそもそも今の創価学会が、青年世代の人材層を厚くできるかと言えば、ここもまた不可能に近いと思います。聖教新聞では太平洋戦争時代の大本営発表よろしく、若き人材が如何にも増加し活躍している様に見せていますが、実際、創価学会の組織活動の現場では、中心者となる幹部どころか、会合に参加する青年世代も枯渇しています。現場の組織では、この青年世代の枯渇を単純に「少子高齢化の問題」とだけ捉えていますが、正直、もう創価学会そのものに青年世代を引き付ける魅力も無くなっているのです。
ではそもそも今の創価学会が、青年世代の人材層を厚くできるかと言えば、ここもまた不可能に近いと思います。聖教新聞では太平洋戦争時代の大本営発表よろしく、若き人材が如何にも増加し活躍している様に見せていますが、実際、創価学会の組織活動の現場では、中心者となる幹部どころか、会合に参加する青年世代も枯渇しています。現場の組織では、この青年世代の枯渇を単純に「少子高齢化の問題」とだけ捉えていますが、正直、もう創価学会そのものに青年世代を引き付ける魅力も無くなっているのです。
しかも昨今の青年世代はSNSを日常的に利用しているので、そこで溢れている創価学会の実態、また公明党のオカシナ政治活動について多く触れています。そんな青年世代に対して、果たして組織の内向きの事しか語れない創価学会の活動家が共感と納得の対話を行う事が出来るかと言えば、絶対に出来ません。そもそも今の創価学会が青年部の年代に共感を呼び起こせるだけの語り口が出来るかと言えば、こちらも絶対に無理でしょう。
何せ「哲学性=ポリシー」自体が、既に2014年11月の会則改正に伴う教義改正により崩壊してしまいました。この様なノンポリの「選挙組織」がどれだけ人材育成が出来るのか、実際に「現証」として示してほしいものです。
◆結論
以上の事を鑑みても、八月に「未来部育成月間」を銘打って、いまいる希少の未来部員を強引に座談会に引きずり出して、何かをやらせても、結果としてそれは未来部世代の中に、より「嫌・創価学会」の印象を受け付けるだけで終わってしまうでしょう。しかしそれでも壮年部や女性部の幹部達は「私たちは未来部員の育成に全力で取り組んでいる」という自己満足を得るのでしょうね。
以上の事を鑑みても、八月に「未来部育成月間」を銘打って、いまいる希少の未来部員を強引に座談会に引きずり出して、何かをやらせても、結果としてそれは未来部世代の中に、より「嫌・創価学会」の印象を受け付けるだけで終わってしまうでしょう。しかしそれでも壮年部や女性部の幹部達は「私たちは未来部員の育成に全力で取り組んでいる」という自己満足を得るのでしょうね。
考えてみれば選挙活動の度、未来部の取り組みを中断し、各家庭の中でも親が創価学会の活動家であれば、家事をほっぽらかして選挙活動に現を抜かすばかりではなく、やもすればその子供たちの友人の親に対しても「公明党をお願いします」なんてやるんですから、子供の眼にはそれが一体、どの様に映っているのか。これで未来部が育成できると考えている事自体が、正直、おめでたい事だと思います。
地区協議会だ支部協議会で、こんな不毛な議論をやる前に、しっかりと自分達の組織や活動の姿を「第三者的な視点」で見直してほしいものです。それが出来れば、すこしでも未来のある創価学会の姿の一端を、考え始める起点を得られると言うものです。しかしもし地区や支部レベルの活動家がそんな「視点」を得る事が出来たとすれば、創価学会の組織崩壊の速度は加速する事は間違いありません。
そうなんです。創価学会は組織を復活させる為のレベルを既に過ぎてしまい、現在は「ポイント・オブ・ノー・リターン(Point of No Return)」を通り越してしまっているのです。もう組織崩壊と弱体化を止める事なんて出来ません。まずはその現実を見据える人達が増える事を願ってやみません。