WALKING TOUR
この動画、知っている人はどれだけいますか?
私がこの動画を始めてみたのは、もう二十年近く前の事かと記憶しています。確か結婚して直後、何かを切っ掛けに見つけた動画なんですよね。
実は私の子供、明日は「二十歳の集い」とかに参加するんですが、もうそんな年齢になったんですよね。
人生の時間というのは、とても早い物です。
思い返すと、私がこの世界に生まれてから二十歳になるまで、とても長い時間かかったと記憶しているんですが、自分の子供の成長を見ていると、この「二十年間」というのは、当に走馬灯ではないのですが、あっという間に過ぎてしまったと感じているのです。
子供が生まれた頃は、仕事も多忙でした。また創価学会の中でも青年部幹部をしていましたが、様々な事に疑問を持ち始め悩み始めていた頃だったのです。それまでは真面目に「広宣流布」を考えていて、それこそ独身時代には、何時死んでも良い、という感じで日々生きていました。
そして所帯を持って、子供が生まれ、とにかくこの家族の事を中心に考えて生きて行こうと決めたのです。
私の人生の価値観を大きく変えた年代が、今から二十年ほど前でした。
それからも仕事の件などで、様々な事がありました。けして平坦な人生ではありません。それまで「仲間」と信じて来た人達の多くが、私が「創価学会」という組織で疑問を持ち、組織内で様々な異論反論を上げる様になると離れて行きました。それこそ仕事で精神的にもどん底の時に、周囲には誰も居ないという状況もありました。しかしそれでも、とにかく私は「家族の為」という事で、自分なりに必死に生きて来て今があります。
そんな二十年の間の経験で得た事。それは「人生塞翁が馬」だという事でした。
人生には一コマだけで見ると、まさに「人生の敗北」の様に見える時もあります。しかしその状況でも「自分自身を信じ切る」事が出来れば、実はその「敗北」の様な状況の中に、次につながるものがしっかりとあったりするんですよね。
この二十年間、振り返ってみれば、そういった出来事の連続で来たと実感しています。
また先日の記事で、私は「癌」になった事を書きました。
とりあえず手術も無事に成功し、患部を取りきる事もできて、いまはリハビリの最中ですが、今回の病にしても判明した当初に「人生塞翁が馬」だという事を信じてきました。でもそれはけして容易な事ではありません。この「癌(がん)」という病名には、人生を根幹から揺り動かすだけの力があります。下手すれば年単位で自分の人生が終わってしまうかもしれません。そんな不安に四か月の間、常に揺り動かされ続けました。
しかし今になり振り返ってみると、これも不可思議な事ですが、様々な事でラッキーとも言える出来事が重なり、今回、無事に手術を終える事が出来たのです。
恐らく地元の創価学会の組織の中では、私の今回の病気を「仏罰」とか「退転した結果だ」と考えている人もいると思います。でも私にとっては、今回の病気により、人生の中で得難い経験をする事が出来た事なのです。
やはり人生とは「偶然」に見える出来事の集積で出来ている様に見えて、実はそこは全て「必然」なのではないか。人生とは「予定調和」ではないのだろうか。そして自分自身がこの人生の出来事全般を「必然」と考えられる為には、目の前に出てくる出来事に一喜一憂せずに、淡々とまずは事実を受け入れられる度量を持つ事が大事なのではないかと思うのです。
私は、自分自身の人生のタイムスパンを七十五年であると、二十歳の頃から考えています。これには何の根拠もありません。
生まれ出てから二十年、これは人生の草創期であり、失敗の連続の中で多くを学びました。
そこから三十五年間、これは二十年間学んだ事を元に、様々な事に挑戦しては成功・失敗を重ねて来た期間。
そしれこれからの二十年。これは人生を振り返りながら、この人生の意義を自分の中で構築する期間。
そんな風に考えているのです。
有る筈の無い「一つの真理」に拘泥し続けるほど、人生の時間に余裕はありません。そんな事を求めるよりも、自分自身の人生を通して、自分自身の実際の姿(実相)に想いを巡らすべきだと最近特に感じています。
宇宙には「一つの真理の法則」なんてものはなく、あるのは個々の生き方と、それを通して人生に対して「報恩感謝」出来る様な人生の構築だと思います。
ふとそんな事を考えて居たりするのです。