自燈明・法燈明の考察

私も創価学会二世

 ゴールデンウィークも過ぎ去り、今週から怒涛の仕事についています。やはり長く休みを取ると、復帰する事がしんどいですね。でも家族を養う為には頑張らなければいけません。美輪明宏も言うとりました。「サラリーマンの給料は、我慢料」なんだとね。

 私も五十代半ばの年齢となりました。さすがにこの年齢になると、夢語る未来よりも、現実を突きつけられる人生の残り歳月という感じで、十年後や二十年後を考える様になってきます。
 以前に聞いた話ですが、インドでは男の人生を四つに分けていたと言います。生まれてから就学迄の学童期、社会で学ぶ青年期、家長となり家族を養う家長期、そして家長を離れ人生を振り返る隠棲期。そして隠棲期には出家して人生を総括するとか。
 この分類で言えば、私は家長期にあたりますが、恐らくあと十年したら隠棲期に入るんですよね。だから、最近ちょくちょく今までの人生の越し方について考える事があるのです。

 私は所謂「学会二世」です。生まれた時には既に家族が創価学会に入会していました。母親に聞くと、寺には赤ん坊時代に連れて行ったと言われてましたが、それが何年何月何日なのかは忘れたと言われています。統監カードには書いてあるのかと、私が地区リーダーになった時、統監カードを見ましたが、見事に日付は空欄でした。
 母親がそんな感じでもあり、また良く婦人部幹部に噛み付く様な人だったので、母親は幹部とはいっても「副B担」。だから私も未来部では放置され、初めて会合に出たのは中学三年生の頃でした。

 ではそれまで全く無縁であったかと言うと、けしてそうでは無く、私が子供の頃に高熱を出した時、母親が小さなお厨子に向かいお題目を上げている姿は記憶にありますし、気が向けば程度ですが、母親の後ろに座って勤行などは小学生の時にはしてました。

 自分自身で創価学会を認識したのは、中学生の時でした。当時、中等部員会に区男子部長が来て、人生について語り「いいか!糞尿製造機の様な生き方をしてはいけない!人生の時間は限られているんだ!」なんて話をして、御書なんて引用しながら、熱く語っていたのに触発され、御書とかを読み始めたりしました。しかし鎌倉時代の古文なんて、中学生に解るはずも無く、それでも何か深みがあると感じで「教学研究」なんて本を読み始めたり、当時の大白蓮華の記事を読み耽る様になっていったのです。

 まあその後の詳細は省きますが、だから私は「学会二世」とは言っても、無理無理会合に強制参加させらたとか、両親が幹部で家に放置されたという様な経験もなく、自分自身で考えて、創価学会の活動を始めたのです。そういう意味では「創価毒親」というのは、無縁で過ごしてこれました。
 私の母親が口酸っぱく言っていたのは「人に嘘は付くな」「約束は守れ」という事で、未来部担当者が来た時や、男子部が来たときには、必ず合わされて、断るもやるも自分で考え、自分で答えることを教えられました。また会合参加の約束をした場合には、それを反故にすると叱られた覚えもあります。「自分でした約束は守れ!」という風にです。

 だから男子部で幹部になった時も、数字や活動内容に嘘を着くことは出来ませんでした。ある意味でバカ正直だったのかもしれません。しかし自分で信じた事、またその活動で虚偽を言うのは、やはり出来ない性格だったと思います。

 それもあってか判りませんが、男子部の中でも、ある特定の幹部からは嫌われていたので、地区リーダーや部長の役職期間は、恐らく区の中でもかなり長期間でした。当時(今から二十年ほど前)殆どが部長を3年やると、副本部長か本部長になってましたが、私は部長を7年間はやっていました。でも今から考えたら、それは良かったと思います。何故なら青年期の「蒼い時代」を長く経験出来ましたからね。本部長以上になると、やたら組織官僚的な人が多くなり、私にはどうも馴染めませんでした。区男子部長や県青年部長になると、信濃町も間近に見えてしまい、組織の汚いところを、多く見てしまいましたからね。

 区幹部や県幹部時代、多くの先輩は「組織の雑音に惑わされるな!そういう時に紛動されない為には、池田先生を求める信心を強くするしかないのだ!」なんて言われもしましたが、そもそも池田大作という人物を知らないのに、そこまで「求める心」なんて、本気では起きませんでしたよ。

 若い時代には、当時の仲間たちと深夜まで本気に「広宣流布のできた社会」について語らいもしました。だから様々な理想もありました。しかし組織で幹部になり、また壮年部に映ると、そんな理想の「り」の文字すら、全く存在しない、あるのは単なる利権組織という現実を見て、そこから様々な事を調べ、結果として今の自分がある訳です。私は創価学会には幻滅を感じこそすれ、そこに理想なんてもう持てません。幸運だったのは、自分の仕事という領域と創価学会をリンクさせずに来れた事。また嫁は婦人部幹部(地区幹部ですが)とは言え、生活の中に組織を持ち込まない努力をしてくれている事です。

 私は創価学会二世ですが、こう考えると、まだラッキーだったのかもしれませんね。

 だから子供達にも組織の話は、聞かれれば答えますが、こちらから教え語る事も一切していないのです。わが家系の創価学会の流れは、私の世代で終わります。よくいう「広布後継」なんて不要です。



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