デイリー新潮ですっぱ抜かれた、福岡県であった5歳児餓死事件で、保護責任者遺棄致死容疑者の母親と、知人の赤堀恵美子(48)両容疑者が創価学会の会員であった事について、恐らく創価学会の信濃町では「自己責任」という言葉、また「魔に扮動されない信心」という事で、乗り切るのでしょう。最近ではLINEを使い、リモートで会合をするようになり、以前と比べて会員がインターネットに触れる機会も格段に増えるの様になった事から、かなり神経を尖らしているようです。
Twitterの発言を見ると、こういう事件があったとしても、「創価学会は大きな組織だから色んな人がいる」「単なる犯罪者で組織には関係ない」という創価学会の活動家と思しき人達の発言をよく見ます。まあ確かに創価学会とは巨大な組織であり、様々な人達が蠢く世界です。そこには犯罪に走る人が居たとて、別におかしくないという意見を、私は否定するつもりはありません。
でもね、果たしてその様な考え方が、本来、創価学会が(建前とは言え)目指していた事を考えた時に、まともな答えだと言うのでしょうか?
その事についてこのTwitterでこの様に発言している人達の視点に欠けているのではありませんか。私はこういう事件を見る度に、いつも思うのです。
過去には池田小学校の児童殺傷した宅間守死刑囚や、北海道の札幌であった被り物した通り魔事件の犯人の青年。その他にも犯罪行為を行ってしまった会員は多くいると言われています。彼らに対して、「同志」という観点は持たずに「自己責任で犯罪行為を行った悪人」というのでは、何か大事な視点が抜け落ちている様に私は感じてしまいます。
◆モンスターな会員幹部たち
私が男子部で支部の男子部部長をしていた時のこと。同じ支部内の壮年部地区幹部で組織利用をしている人が居ました。要は金貸し関係への取次(いわゆる街金ですね)をして、キックバックを得ているというもので、会員の中にいる借金まみれの人達を、信心の言葉巧みに誘い出し、利用していたのです。
巧妙なのが、支部内の壮年部の幾名かを抱え込み、けして表には出ないように活動をしていた事で、私はとある事から、そんな動きを知る事になりました。そしてそれを当時の支部長に相談すると、要はそんな動きがあったとしても、けして組織内で口外しないように、またそんな人でも同志なんだから、簡単に切る事なんて出来ないと云われ、「では支部長の方で対処を」とお願いしましたが、結果、有耶無耶にされてしまいました。
また男子部同士で雇用関係が生まれたときも、これはややこしい話になる事があります。簡単に言えば「給料支払い有無」とか、給料の内訳で揉める事なんてやつですね。雇用関係の主従に加えて、組織内の上下関係も絡むとややこしさが倍増ですが、本来なら雇用関係の法律に基づきやり取りすればいい事を、何故かそこに「信心」という言葉が絡んで来たりするのです。
要は創価学会の中、特に幹部の中にもモンスターは存在するのです。そんなモンスターの中には犯罪を起こす人もいるでしょう。でも「組織防衛」を考える幹部達がそんな事に蓋をしてしまう、こういう事があるのです。
◆幹部の考え方に問題が
ちょっと話を変えますが、今から数年前。私は地区に請われたら御書講義を行っていた時がありました。そんな時、壮年部幹部で私が男子部からよく知っている人などは、恐らく私を活動の現場に戻す事を考えていたのでしょう。座談会が終わった後に、近所のファミレスへ行って懇談した事があります。
そこで私はこの壮年部に対して、私が実際に見てきた話、また実際に様々な地域であった話、また職員や公明党議員の問題点について話をしました。しかしその時にその壮年部の幹部が言った言葉が、こういった創価学会の問題点の原因の一つだと思いました。
「池田先生は全てを知っていらっしゃる」
「御本尊様は冥の照覧だ」
「裏切り者には必ず仏罰がでる」
「私達は何も心配しないで戦えば良いんだ」
これはツイッターなどでも過去に紹介した言葉ですが、これらのセリフから見える事は、要は自分たちの組織(創価学会)や、それに関する問題があったとしても、正面からその問題点に目を向けるという姿勢を取る事が出来ないという事を如実に表しているのです。創価学会のいう「広宣流布」とは、組織の拡大膨張を指し、公明党の支持基盤はそういった組織膨張に支えられています。そして池田氏などは「私の命よりも大事な組織」という事を過去に幾度も会合の場で指導している事もあり、この「創価学会の組織」の維持こそが、創価学会の活動家幹部にとって至上命題となっているのです。
だから組織に都合悪い事には、目を背け蓋をする習性が、創価学会の活動家や幹部の中には、無意識のうちに刷り込まれてしまい、結果、ヘドロの様なモンスターたちが生きていける組織になっているのではないでしょうか。
組織なんて、所詮は自分たちの信仰の手段でしか無いはずが、その手段の組織で生活をしている職員を始め幹部が多くいるので、手段を平気で目的化してしまい、この様な状況を生み出している。その事に少しは創価学会で活動をする人達は気づくべきだと思うんですけどね。