自燈明・法燈明の考察

SDGs(持続可能な開発目標)について

 今の人類の抱える課題というのは、実に多様であり、それぞれが根深い問題があります。皆さんはSDGs(持続可能な開発目標:Sustinable Development Goals)という言葉をご存知ですか?

 最近、仕事で良く耳にする言葉であり、知り合いの経営コンサルタントなどは、何かにつけて提案書などには「国際社会としてSDGsの流れも受け、云々」なんて言葉をよく得意げに書いていたりするのを目にします。



 この内容は外務省のHPに以下のページがあるので、見てみて下さい。

 このSDGsとは言葉通りに、これからも人類がこの地球上で持続可能な開発活動を行う為の様々な目標を定めている訳ですが、果たしてこれからも今まで通りの開発行為を、人類はこの地球上で行う事が出来るのでしょうか?

 その事を私はふと思ったりしました。

 ちょっと角度は異なりますが、Youtubeで以下の動画を見つけたのですが、少し見て頂ければと思います。

【漫画】麻酔なしで何度も・・・豚の生涯!養豚場の闇【実態】  

 今の人類社会では、全ての価値は「お金」を基準として判断しています。例えばこの動画にしても豚一頭の価値というのを人間が判断する基準は「お金(値段)」です。豚を飼育する飼料を購入する代金、飼育に掛かる光熱費や人件費から、一頭の豚の価値を「お金」で値付けしています。

 一頭の豚が高く売れれば養豚職は儲かり、安く売れた場合、もし原価割れをしたのであれば、下手すれば養豚職は経営が苦しくなり、場合によっては破産してしまいます。そしてもし破産すれば、経営者は社会の中で身ぐるみをはがされ、社会生活が出来なくなってしまいます。

 しかしこの豚の価値というのは、その金額として換算出来うるものなのでしょうか?

 ものすごく大雑把に言えば、先にあげる「持続可能な開発」というのは、持続可能にお金としての価値を、この地球環境の中から取り出し続けるための目標という事に、なってはいないでしょうか?

 私達人類とは、他の生物を食らわなければ生存出来ません。この生物は動物もそうですが植物にしても同様です。また資源を消費する際には、どうしても地球環境には負荷をかけてしまいますし、場合によっては環境を修復不可能なところまで破壊をしてしまいます。

 では人は他の生物を食らうという行為について、どの様に考えているのでしょうか。また環境に負荷をかけるという事は、他の生き物の生存権を脅かす可能性があるのですが、その事をどの様に感じているのでしょうか。

 果たしてそこに「尊厳」の二文字は存在しますかね?

 地球環境とは、何も人類の独占物ではありません。そこには他の生物も生きているのであり、いわば生物全ての共有財産の様なものであるはずです。であれば「他の生物との協調」が必要と思うのですが、先のSDGsという概念には、そんな事は当然の事、謳われてもいないのです。

 最近では「フード・ロス」という事も言われていますが、そこでロスされる食物の中には、先の動画にある豚肉も当然の事、含まれています。

 私自身、この人類社会の中で生きていますので、これらの事を全くの部外者の様に語り、自分自身が聖人君主かの様に理想論を暴力的に振り回すなんて事は出来ません。でもそろそろ人類は、この「お金(資本)」に振り回される人類社会の価値観について疑念を持ち始めても良いのではないか。ふとそんな事を考えたりします。

 この「お金(資本)」が価値観の中軸に存在すると、そこには「尊厳」とか「尊重」という人間にとって大事な視点が、人間の心の中から抜け出てしまう気がしてならないのです。

 本年騒ぎになった「新型コロナ過」に於いても、多くの人達が社会の中で生きて行く事が苦しくなっていますが、その根源的な理由を考えた場合、やはりこの「お金(資本)」という事に行く付く気がします。

 そろそろ私達一人ひとりも、こういった「カラクリ」の問題について、自分の思考の内、少しでも構いませんので、想いを傾ける必要のある時代に来ているのではないでしょうか。

 ふとそんな事を思いました。


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