自燈明・法燈明の考察

日蓮の時代感について思う事

 先日は関東で大雪が降ると言われていましたが、それほど大雪にもならずに終わりました。まあ一部では交通障害などは発生していましたが。

 ここ最近、法華経の読み込みに没頭し、ブログ等は少しおざなりとなっていましたが、本日は少し記事を追加してみたいと思います。

 最近、大河ドラマの「鎌倉殿の13人」と、NetFlexの「平家物語」のアニメを見ているのですが、やはり歴史というのは中々面白いものですね。



 この「鎌倉殿の13人」は、源頼朝挙兵から承久の乱に掛けての時代を、鎌倉幕府二代執権となる北条義時を中心とした視点で取り上げているドラマですが、扱っている時代は、丁度日蓮が誕生する直前までの時代なんですね。私はついつい日蓮に興味を持っている事から、そういった視点で歴史を見てしまいます。

 日本は律令制度となってから、長きにわたり朝廷を中心とした公家社会が中心となり、歴史は動いていました。しかし後白河帝の時代から六条帝の時代に平清盛を中心とした武家の平家一門は力を付け、清盛は安徳帝の時代には天皇の祖父という位置に着き、武家として初めて至高の位置にまで上り詰めました。この時、平清盛は武家ではなく、武家出身の公家という立場で政権運営をしたのですが、結果としてそれは平家一門の武家としての弱体化、また朝廷や公家内部の様々な思惑もあり滅びてしまったのでしょう。

 一方で、源頼朝はそんな平家を分析していたのか、鎌倉で幕府を開いた後、当時の朝廷や公家とは距離を置き、坂東武者を中心に「御恩と奉公」という原理の元で武士を統率し、鎌倉時代を築き上げたとも言えるでしょう。しかし武士とはそもそも地方の豪族であり、やはりそれら豪族を統率して一つの権力機構として成立させるのには数百年の時間が必要だったのかもしれません。私はこの武士を中心とした権力機構の完成は、徳川幕府であったと見ています。

 鎌倉時代とは、そういう意味で武家が政権を取る黎明期であり、様々な謀略や混乱が、武家の中でも渦巻き始めた時代だと思うのです。何せそれまでの武家とは朝廷や公家の臣下であり、単なる武力集団に過ぎなかったのですから。

 まあその様な歴史だと考えながら歴史を見ていると、後鳥羽法皇が平清盛から幽閉され、その後に木曽義仲が平家を京から駆逐して法皇を解放、その木曽義仲がその粗暴さでその後、京都の人達から嫌われ、後鳥羽法皇が令旨で木曽義仲の追討を頼朝に命じ、その後に鎌倉幕府が成立するまでの流れは、やはり朝廷・公家と武家との間の権力闘争であり、まさに日本という国が大きく変化していく中での出来事だと思うのです。

 そしてその観点で日蓮の歴史観を見ると、やはり日蓮の観点は鎌倉時代の一僧侶の観点としての歴史観であった事を感じてしまうのです。例えば以下、撰時抄で蒙古襲来や承久の乱について書かれている内容を見ると、それを感じます。

「今現証あるべし日本国と蒙古との合戦に一切の真言師の調伏を行ひ候へば日本かちて候ならば真言はいみじかりけりとおもひ候なん、但し承久の合戦にそこばくの真言師のいのり候しが調伏せられ給し権の大夫殿はかたせ給い、後鳥羽院は隠岐の国へ御子の天子は佐渡の嶋嶋へ調伏しやりまいらせ候いぬ、」
(撰時抄)

 ここで日蓮は、蒙古襲来に対して真言師が調伏祈祷をした事を取り上げ、それで勝利をするのであれば真言宗は優れていると人々は思うだろう。でも承久の乱では幾人かの真言師が調伏祈祷をして鎌倉殿は勝ったが、結果として後鳥羽院は隠岐に、その王子たちは佐渡の島へと流されてしまった事を指摘しています。

 この文の後では結果として比叡山も鎌倉幕府に責められ、多くの寺院は権力の走狗の様になり、国が乱れた事を言い、これにより真言亡国という様な論理を展開していますが、そもそも当時の社会の混乱とは、朝廷・公家社会から武家社会への切り替わりに伴う混乱でもあったので、何も日本国内の仏教の混乱が主たる原因ではないと、今の私は考えているのです。そしてそこから考えると、やはり日蓮の視点とは、一仏教僧の視点でしかないとも感じています。

 恐らく日蓮が調伏祈祷をしたところで、時代の流れの中の混乱を避ける事なんて出来なかったでしょう。そもそも仏教自体の目的とは「国家鎮護」でもなく、その思想自体は日本独自の仏教観でもあったのですからね。

 日蓮は立正安国論を始め守護国家論など、当時の仏教の観点から国家や社会を論じています。それ自体を否定するつもりは更々なく、それぞれの御書は当時の仏教の上から見た場合、それは優れた論文であったと思います。しかしそれは飽くまでも当時の仏教観の中での話であって、人類普遍の論理とは、そのままの解釈では成り得ないばかりか、後世の日本に少なからず悪影響を与えてしまいました。

 代表的な事で言えば、田中智学の国柱会。昭和初期にクーデターを起こした陸軍青年将校の精神的な支柱であった北一輝。戦後の創価学会が代表的な例でしょう。

 日蓮を学ぶ事は無駄だとは思いませんが、その際にはこう言った日蓮の時代感をもしっかりと捉えた上で、客観的な学び方が必要だと私は思うのですが、皆さんはいかが考えますか?


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コメント一覧

令和の法華衆
貴殿の徒然のブログを読むに、なるほど言論の自由という法に護られて日蓮大聖人をとやかく語るのは責めるべくもないが、少なくとも日蓮大聖人ほどに法華経を身で読んだ事も、法華経の為に命を失う場面に身を置いた事もない貴殿が日蓮大聖人の御書を学者気取りで語るのは何処までいっても「理」でしかない。
この先、貴殿には四苦のうち「病」と「死」の問題が大きくのし掛かる事だろうが、外野からしか仏法を語れない境涯では「生死」の大問題は解決出来ないよ。貴殿の今までの学会での経験や、少なからずの体験があるだろうが、宇宙の何処に生まれ変わろうが貴殿の「事」の「因果」しか通用しない。悪い事は言わない、日蓮大聖人を語り、貴殿の仏法観を多くの読者に自分の考えを問うからには貴殿が日蓮大聖人を超える程の法華経の大難を受けてから語るべきだ。
この先、仏法と共に生きる事を決めきった人間からすれば貴殿の論点は何処までいっても「タラレバ」の域を出ない。これからも退屈凌ぎで貴殿の「理の論理」を読みはするが、コメントする時間の余裕がないのであくまでサイレントの立場だが自分はいつも訝しい思いで読んでるよ。
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