自燈明・法燈明の考察

戦争と平和について思う事

 最近ではあまり真面目にやっていませんが、以前、私は創価学会で勤行の際、御祈念の最期に以下の事を祈っていました。
 「世界の平和と一切衆生の幸福のために」

 以前に日蓮正宗と一緒であった時には以下の言葉で、同様な事を祈念していました。
 「乃至法界平等利益自他倶安同帰寂光」

 まあ共に世界の安穏と平和を祈念するという意義なんですが、創価学会員が公称八百万世帯となり、一時期は「実質的な広宣流布の達成」(正本堂建立趣意書)と言っていたにも関わらず、人類社会は相変わらず平和にもなっていません。



 これは当たり前と言えば、当たり前の事なんです。ある宗教で祈り、行動する事だけで平和になれば、人類はとっくに平和な社会で生きている事でしょう。でも何せ創価学会が目指していたのは「人類社会の平和」でしたが、数百万の人が祈り行動しても、結果として何も平和にならないという事についてはとても残念な事でもありますね。

 今の世界では、戦争というと多くの場合に「アメリカ」という国が関与しています。ネットでは「戦争の勝者は”軍産複合体”」という言葉もありましたが、この軍産複合体という言葉の発祥もアメリカでした。

 「軍産複合体」というのは、1961年に第34代アメリカ大統領のアイゼンハワーが、退任演説で存在を指摘した事から、世の中に知れ渡りました。そもそもは太平洋戦争の時、アメリカでは民間企業から軍事物資(兵器関連)の調達を迅速に行う為の官民協力体制から始まったと言われていますが、この戦争による戦争特需により「雇用確保」「価格の安定」「民間企業の参加」という利点が認知され、戦争終了後においてもこの協力体制が維持され、それをアイゼンハワー氏は「軍産複合体」と呼んでいました。

 今のアメリカでは、年間の軍事予算は80兆円を超えており、それ以外にも「ブラックプロジェクト」と言われる表には出ない軍事支出もあり、莫大な資金が裏で流れていると言われています。
 そしてこういった政府と軍事産業のつながりは、規模の差はあれど恐らく世界各国にある事だと思われますし、日本もこれに準じた構造はあると思います。

 「戦争とは国家が行う最大の公共事業である」

 これは良く言われている事ですが、確かに戦争とは大きな資金が動く事なので、そこには当然、ビジネスが絡んできますし、それにより雇用の確保がある事も否めません。また企業が絡むという事は、その企業の商品である武器や兵器というのは、大量消費をしない限り、ビジネスには成り得ない事になるのです。
 例えばパソコン市場に於いても、常にモデルチェンジが行われ、新しい製品が市場に出されて、人々に購入して貰わないと、結果としてパソコンメーカーとしてビジネス維持ができなくなります。

 これと同じように「軍産複合体」にある軍事企業も、常に新たな製品(兵器)を開発し、それが政府に納入されていかないと、企業としては成り立ちません。そしてそれを購入した政府も、在庫が余る事は不利益な事も発生するので、やはりそれを「消費する行動」を取る必要があります。これが単に「演習」だけで消費されるのであればよいのですが、一番消費する機会はやはり「戦争」になると思うのです。

 こういった構造から、実は戦争というのが発生する事もあるのではないでしょうか。アイゼンハワー大統領は、自身も大戦中はアメリカ陸軍元帥として戦争に従事し、また大統領となってからは、この軍産複合体とも関わりを持っていました。その彼が退任演説で、この軍産複合体に対して以下の様に警告を発していました。

「我々は、政府の委員会等において、それが意図されたものであろうとなかろうと、軍産複合体による不当な影響力の獲得を排除しなければなりません。誤って与えられた権力の出現がもたらすかも知れない悲劇の可能性は存在し、また存在し続けるでしょう。」

 だから戦争を無くし、平和を希求する立場であれば、こういった世界の構造的にある現実を直視して提言しなければならないし、その行動についても同様な事が求められると思うのです。

 ただ根深い事は、こういった「戦争と資本の関係」という事ですね。
 私達が生きている人類社会は、常に「資本(お金)」と共にあります。簡単に言えば社会の中で人々は仕事をして、その対価として給料を貰わないと、この社会で自由に生きて行く事が出来ないという事が大前提にあります。
 そして人々が仕事をする場所を提供するのが「雇用」という事になりますが、この雇用を軍産複合体では大量に生み出す事が出来ます。逆に言えば、この軍産複合体がもし無くなれば、多くの人達が雇用を失う危険も存在するのです。

 「いやいや、私は兵器工場で働いていないし、軍事産業とは関係してないし」

 こう言う人もいるかと思いますが、よく考えて見て下さい。企業とは単独で事業を展開する事は出来ません。そこには部品の調達や、要員の確保など、様々な関係が企業間にありますので、間接的に軍事産業と関わる企業を見ていくと、この軍産複合体とはとても裾野が広いものだと思いますので、やはり各国の経済活動の中でも重要なポジションを締めている事が理解できると思います。

 だからもし「世界平和」を考えるのであれば、この社会と人との繫がりに、その間にある「資本」という存在も捉えるべきであり、極端に言えば「お金が無いと生きる事が出来ない社会の仕組み」という観点でも、検討をしなければならないのではありませんか?

 私も「平和」はとても大事な事だと思います。出来れば戦争なんて起きない方が良い。最近ではウクライナの緊迫した状況が報道されていますが、できればウクライナでも紛争が起きずに無事に収束して欲しいと思っています。
 また中国と台湾の間にある緊張関係についても、大いに懸念を持っています。もし中台海峡で紛争があれば、日本の自衛隊は恐らく巻き込まれる事にもなりますし、アメリカ軍の基地が多くある日本は、けしてこの紛争と他人事だと言う訳には行かないと思うのです。

 ましてや戦争は往々にして、様々な物資不足や物価高騰を招きます。新型コロナ過で疲弊した日本社会を、もしこういった事が襲ってきた場合、果たして堪え切れるものなのか、そこも心配で仕方がありません。

 でも「平和」という事を考えると、それは単に「戦争放棄の憲法第九条の維持」とか、単なるデモ行進やシュプレヒコールで抑えられるものでは無いし、ましてや宗教で祈る事や、一つの思想を拡大する事だけで得られるものではありません。

 なにせ人類は数千年前から、この戦争をひたすら続けて来た生物なんですから、その根の深さは推して知るべきなのです。

 だからこそ、新たな視点で人々が考えられる様に、どの様な事が必要なのか。そういったアプローチが必要だと私は考えています。ただこの為には時間も掛かるし、多くの人材も必要になる事であり、そのあるべきゴールの姿さへ見えません。

 でも、そろそろこういった事を感ずく人が増えて欲しいと思うのです。


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