さて、私は日蓮という鎌倉時代の僧にはとても興味があります。創価学会にいて活動をしていた頃には「末法の御本仏、日蓮大聖人」と呼び、かれの遺文を御書と呼んで、そこにある言葉を御金言として崇め、全てが真実の言葉であると捉えていました。
しかし創価学会の活動から離れたことを機に御書の重要部分について、宗門や学会書籍に依らず自力で読み込んで、法華経についても訓読を読み込み、更に図書館に通っては様々な文献に目を通して行きました。するとそこには創価学会から教わった事とは異なる日蓮像や仏教というモノがある事を理解しました。
要約すると、そこで初めて日蓮を鎌倉時代の僧侶として理解できたのです。
しかしこれは、だから日蓮が大した事ではないとか、日蓮は嘘つきだったとか、そういう認識をしたという事ではありません。寧ろ鎌倉時代という事を理解して、そこで比叡山延暦寺で天台教学を徹して学び、当時からしたら独自の解釈を掲げるばかりか、己の信念で時の幕府に意見を述べ、結果として生涯を権力との闘争に身を置いたのは大変であったろう事が、学会で学んだ時よりも鮮明に見えるようになりました。
そもそも宗教の中で語られるこういう「始祖」の姿というのは、その宗教の色に染め上げられ、その集団にとって有利な姿に作り上げられてしまうものです。
釈迦にしても初期仏教に置いては自らを「阿羅漢(声聞の最高位)」と呼び、初転法輪という初めて5人の沙門に説法し、彼らを帰依させた後、「これで阿羅漢は六名となった」と述べていました。しかし釈迦滅後、弟子たちが釈迦を恋慕するが故に、この釈迦自身が「阿羅漢」と述べたことを、他の阿羅漢とは異なるという解釈をしてしまい、その後に人から離れた姿の仏として祭り上げられたという説もあるのです。
これは日蓮も同じですね。上行菩薩の自覚であった日蓮が、いつの間にか釈迦をも迹仏とする久遠元初の本仏に祭り上げられてしまいました。これは日蓮も本意ではないでしょう。これは大石寺に関してですが、総じて日蓮の後世の門下には同様な傾向があるように思えており、これでは日蓮の実像が見えなくなると言うものです。
こういった事もあってか、結果として日蓮の思想は、明治後期から大正、そして昭和に掛けて、田中智学や「最終戦争論」を著した石原莞爾、また北一輝というアナーキスト、また今では創価学会という形で、日本社会にはどちらかと言うと、良からぬ影響を与えてしまったと思えるのです。
日蓮の生涯は「折伏」一色の人生であったと思います。これは正しい教えにより、間違えた教えを呵責して糺すというものです。ただしこの「正しい」というのは、絶対的なものではなく飽くまでも相対的な事であり、時代背景によって変化をするものです。つまりある時代には正しく思えても、時が過ぎればそれは悪にもなり得るという事です。だからもし「折伏」という姿勢を取るのであれば、時代背景についてもよく理解して認識する必要があるのです。
日蓮が立正安国論で主張した基礎には、当時の日本では当たり前の思想であった「鎮護国家の仏教」というのがありました。しかしこれはそもそも仏教にはない思想で、今の時代では既に過去のものなのです。だから当然、現代では正しく認識できるものではありません。
しかし現代に於いても、日蓮を信奉する人達の中に、こういう基礎的な事の認識もなく、単に教条的に日蓮の言葉を捉える傾向性が強くあります。これでは日蓮という人物像に誤解を与えるだけではなく、日蓮自身も危惧している様に「悪しく敬えば国滅ぶ」という思想にも成りかねないのではありませんか?
正しい、間違えている。
日蓮が生涯貫いた折伏という行為には、こういう思考が常に付き纏いますが、そうであればしっかりと時代認識をして、社会に対して洞察深くしてから後、彼の言葉を捉える必要があるのです。
まあ特に宗教的な教条主義で日蓮を捉える人には、この辺りは難しいのだろうけれども、それを心がけない限り、日蓮の実像を見誤るし、そもそも仏教に対する洞察を深めることは、困難になるのではありませんか?