三十代の頃の私は、今から見ると変に思われるかもしれませんが、創価学会を命を掛けてやっていました。それこそ「いつ死んでも良い」と考え、よくいう処の「止暇断眠」で活動をしていたのです。
当時は仕事もシステム開発関係でしたので、納期が近くなれば深夜まで作業もあり、知り合いと会社をしていた頃は、部下に仕事の指示をしてから一旦仕事を抜けて活動し、夜中に会社の事務所に戻って朝まで仕事。その後、朝日の上がる頃に帰宅して仮眠の後、シャワーを浴びて出勤するという生活をしてました。
また一週間のうちで余裕が少しあったのは土曜日の午前中で、それ以外は休日とは言っても、朝から出かけたら夜中まで家に戻る事はありませんでした。
こんな生活を二十歳から結婚するまでの三十五歳までの十五年間、やってましたので、四十代初めの頃には、あちらこちらの病院に掛かる事になってました。
そんな生活を経験していたからかもしれませんが、五十代になってからめっきりと体力が衰えた事も実感する様になりましたが、そんな時に「一億総活躍社会」なんてフレーズを耳にしたので、この日本の社会の歪さを、実感として感じるところがあるのです。
◆老いの種類
まだ五十代前半の私が「老い」という言葉を使うと、青二才のハナタレ坊主が何言うかと叱られそうに思うのですが、まあ私の考えている事について書かせてもらいます。
一口に「年老いた」と言っても、幾つかの観点があると想います。
一つ目は「肉体的な老い」というやつで、一般的に年取ったと言う場合、多くはこの肉体的な老いという事を指しますよね。具体的には夜中まで起きていられなくなるとか、体が固くなったとか、関節が痛くなったり、耳が以前より聞こえなくなる、目が霞む、あとはモノ覚えも悪くなるという様に、肉体的な機能低下はどうしてもついて回って来るものです。私なんかは子供と遊びに行った時、その後二日目に筋肉痛が出てきて、腰が痛んだりしたので、肉体的な老いという事を実感しました。
二つ目は「精神的な老い」というやつで、やはり社会の中で多くの経験をして、また家族を持ったりした事も影響してか、どうしても「守りの体制」と言うものを取ってしまい、若い時の様にイケイケドンドンという感じにはなれません。また若い頃には後先関係なく、自分自身のポリシーで行動できた事が出来なくなります。周囲ではこれを「丸くなった」と感じられる様ですが、そうではなく精神的な覇気が無くなってきた一つの現れなのかもしれません。
三つ目は「社会的な老い」というやつで、どうしても社会の中では本人の思惑とは別に、シニアという見方をされるので、若い時と同じ様な扱い方はされません。この背景には先に上げた肉体的な老いと、精神的な老いが関係しても来ますので、こればかりはどう仕様も無いという事です。具体的な例を言えば、若い時の様にチャレンジというのが、許容されずらくなってくる等があります。
◆四苦の内の「老苦」
この様に、自分自身が老いてきた事を実感したり、またそこから病院通いがあったり、入院したり。要は若い時とは異なる状況へと陥る中で、仏教でいう「四苦八苦」の中にある「老苦」というのが起きるのでしょう。しかし「一億総活躍社会」を掲げる今の政府の中に、こういった人の心に対する洞察がどれだけあって、このスローガンを作っているのかと言えば、全くその様な意識は皆無なのかと思いますが、いかがですかね。
確かに江戸時代や明治・大正・昭和と時代が変わる中で、人々の平均寿命は伸びてきています。昭和三十年代であれば五十五歳あたりで定年退職という事でしたが、今の社会では六十五歳定年というのが一般的になってきましたので、十年は延長されています。しかし人間の持つ「老苦」という問題の本質に目を向けず、単に「高齢者も働きたがっている」とか「労働力の不足の補完」として、高齢者を利用するだけの為に、社会を作り上げようとした場合、人々の中に、新たな苦しみの種を撒くことになるのではありませんか?
私は今の日本社会の進む方向に、その様な危惧を感じてならないのです。
◆高齢者の生きる社会
高齢者になると、やはり若い世代や壮年世代と同じ様な事は出来ません。しかし長い人生経験の中で得た事を社会に還元する事は可能です。また高齢者に対する評価軸についても、高齢者に沿ったガイドラインが必要に成ってきます。これはつまり「人間」という事に社会として理解を深める事にも通じてきます。これからの日本社会に求められるのは、そういう人間に関する視点の転換と、社会の求める目標への見直しではないか。
私はその様に考えるのですが、皆さんは如何お考えですか?