二倍年暦で時代を古く錯誤しているのでは
引用ーーー 青銅器が大陸との交易によって日本列島内で流通し出したのは、紀元前4世紀頃です。遅すぎると思えますが、この原因は夏・殷(商)・周の三つの王朝が、青銅器製造技術を民間に流出させないために秘匿していたためです。ーーー
中国大陸ではこのような事情がありましたが、中国と同時期に青銅器時代に入った遼河文明ではそのようなことがなかったため、なぜ日本列島内で青銅器の流入が遅れたのかその原因はわかっていません。ーーー このように云われている。
いくら何でもそれはどうなのでしょうか。
商王朝が紀元前1000年頃となればそれほどのズレは無くなる。
二倍年暦が原因で、時代を古く錯誤していたのでは無いのかと考える。
現代の年代観 二倍年暦から推定
夏王朝(BC2000頃-BC1600頃) 200年 前1126から
↓
殷王朝(BC1600頃-BC1046) 270 前926から
↓
周王朝(BC1046-BC256) 400 前656から
引用ーーーーーー
青銅器伝来(紀元前13世紀頃~前11世紀頃)
青銅器の伝来についてですが、青銅器の日本国内最古の出土例として、昭和29年(西暦1954年)に山形県飽海郡遊佐町の三崎山遺跡から中国の殷代後期(紀元前13世紀頃~前12世紀頃)から西周代初期(前11世紀頃)の青銅刀子が出土しています。
山形県遊佐町三崎山遺跡から出土した青銅刀 写真お借りしました
これは大陸との交易によって入手したとみられますが、製造技術などの移入は現在まで見られません。縄文後・晩期に現れる石刀は大陸からもたらされたこの青銅刀子の模倣であるとされています。
中国青銅器時代が始まったのは紀元前2000年頃です。黄河最上流域である青海省や甘粛省では青銅器時代の始まりが前3100年から前2700年頃になっていますが、当時は中華文化圏ではないので省かれるようです。
青銅器が大陸との交易によって日本列島内で流通し出したのは、紀元前4世紀頃です。遅すぎると思えますが、この原因は夏・殷(商)・周の三つの王朝が、青銅器製造技術を民間に流出させないために秘匿していたためです。
これら三つの王朝にはそれぞれ従属する諸侯がいましたが、その諸侯に青銅器の製造技術が流出すれば、青銅製武器を造られ、それが戦争や反乱に使用されたら王朝が滅ぼされる可能性があるからです。西周時代になると村長程度の墳墓から、ようやく青銅製の小刀や手斧が出土されますが、そのほかに出土するものはは石器農具でした。東周時代に入って青銅器製造技術が諸侯国に流出しましたが、民間にその技術が広まるどころか知られることはありませんでした。
中国大陸ではこのような事情がありましたが、中国と同時期に青銅器時代に入った遼河文明ではそのようなことがなかったため、なぜ日本列島内で青銅器の流入が遅れたのかその原因はわかっていません。
そして紀元前4世紀頃、青銅器が交易品として流入すると、ほどなくして日本国内で青銅器の製作が始まります。