金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

夏商周の年代について再度

BC3500年頃から、地球の気候は寒冷化したことが、四大文明誕生の原因であるという。
その後のBC2300年頃からBC1500年頃にかけて、太陽活動が再び活発化し、その温暖化の流れの中でエジプトでもメソポタミアでも分権化が進んでいくという。
同じ頃、中国の長江文明でも、代表的な都市文明であった良渚文化が消滅している。
遺跡の上層が洪水堆積層になっていることから、洪水で滅びたといわれている。
確かに、中国では、3885-3500年前、気候が温暖湿潤となり、降水量が増え洪水で滅びたといわれているが、もし都市文明が必要なら、もっと安全な場所に再建設すればよいので、都市文明が不要になったというほうが真実に近いという。
その後のBC2300年頃からBC1500年頃にかけて、太陽活動が再び活発化し、その温暖化の流れの中でもし分権化が進んだとしても、その後の寒冷化により紀元前1500年頃から夏商周の都市文明が始まったと考えられることになる。もしそうだとすれば二倍年暦の年代推定の想定が合うのだろうか。

現代の年代観           二倍年暦から推定       
夏王朝(BC2000頃-BC1600頃)   200年  前1126から
    ↓
殷王朝(BC1600頃-BC1046)     270   前926から
    ↓
周王朝(BC1046-BC256)       400   前656から

これから見て夏は縄文後期に、殷は縄文晩期に、周は弥生の時期に当たると考えても良いことになる。
金生遺跡の立春観測による八分暦は夏の時期に相当することになり、夏暦の夏正は金生遺跡の暦を受けていたものとして良いと考える。

引用ーーーーーー

四大文明は、すべて環境の悪化により発生し、環境の好転によって消滅した。
古代人にとって、中央集権的な都市文明よりも地方分散的な農耕文化のほうが、魅力的だったのである。

BC3500年頃から、地球の気候は寒冷化したことが、四大文明誕生の原因であることは、これまでに述べたが、BC2300年頃からBC1500年頃にかけて、太陽活動が再び活発化し、その温暖化の流れの中でエジプトでもメソポタミアでも分権化が進んでいく。

同じ頃、中国の長江文明でも、代表的な都市文明であった良渚文化が消滅している。遺跡の上層が洪水堆積層になっていることから、洪水で滅びたといわれている。確かに、中国では、3885-3500年前、気候が温暖湿潤となり、降水量が増えているが、もし都市文明が必要なら、もっと安全な場所に再建設すればよい。洪水で滅びたというよりも、洪水が発生するほど温暖湿潤化したので、都市文明が不要になったというほうが真実に近い。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「旅行」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事