金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

鬼海カルデラ噴火で各地の遺跡はどうなったのか

初稿 2025.02.04、  2025.02.24 有史以前の超巨大噴火の項 追加しました

鬼海カルデラ噴火で遺跡はどうなったのか
主な遺跡について分っているもの

 

                 図 年代


鬼海カルデラ噴火の時期は縄文時代早期の末の時期 7355年前のことである。

 

      図 鬼海カルデラ噴火の降灰想定

有史以前の超巨大噴火

数万年前から数千年前までの日本列島では、繰り返し巨大噴火が発生していました。
これらの噴火は、広大な範囲に火山灰を降らせ、地形を劇的に変化させ、当時の環境や生態系に大きな影響を与えたと考えられています。

約21万年前~10万年前: 阿寒カルデラ、洞爺カルデラ、阿多カルデラ
           といった巨大カルデラを形成する噴火が発生。
約9万年前~6万年前: 阿蘇カルデラ、箱根カルデラなどの巨大噴火。

約7万4千年前: インドネシアのトバ湖では超巨大噴火が発生。
       これは、人類の進化に影響を与えた可能性も指摘されています。

約4万年前~3万年前: 支笏カルデラ、倶多楽カルデラ、アトサヌプリの噴火。

約2万9千年前: 姶良カルデラの大規模噴火。 日本列島全域壊滅的

約1万5千年前: 十和田カルデラを形成した八戸火砕流の噴火。

   これらの噴火は、VEI(火山爆発指数)6以上と推定され、
   現代社会に発生すれば未曾有の災害となる規模です。

完新世における巨大噴火
完新世(約1万年前~現在)においても、日本列島を含む世界各地で甚大な被害をもたらした巨大噴火が確認されています。

約8千年前: クリル湖、摩周カルデラ、萌消カルデラの噴火。

約7.3千年前: 鬼界カルデラの大噴火は、過去1万年で地球上で最大規模の噴火で、
      広範囲に火山灰を堆積させました。西日本壊滅

これらの噴火は、現代社会にも大きな影響を与える可能性があります。

 

 

             図 遺跡の位置
曽畑貝塚

 

                    図 地層


5860年から遺物が出ているので、この頃から人が住めるようになったてきたのだろうか。
7355年前からここまで1500年の間は無人であった。東から新しい人が来ていた、西部開拓が始まった。

 

図 位置
東名遺跡の廃絶
7355年前の鬼海カルデラ噴火により廃絶して、以後再興されなかった。

 


               図 位置
鳥浜貝塚の壊滅

 

           図 遺物の年代


7355年前から6126年前までの1200年の断絶
福井県にあるので、鬼海カルデラ噴火より遠くで、噴火での降灰の影響は、九州よりは少なくなっていたはずで
それでもこれほどの影響があったのではないか。

住むようになったのは、東からの開拓民、西部開拓が始まっていた。西日本の昔からの船乗りはいなくなり、早期までのような海外進出は、出来なくなっていたのではないか。水田稲作を持ち込むことは出来なかった。

 

西日本の壊滅については次のような記述がある---要点を纏めています

なぜ「先祖返り」が起きたのか

縄文時代早期の日本列島では、南九州で成熟した縄文文化が発達していたという。
本州ではまだ先の尖った尖底土器を使っていたのに、南九州では既に平底型の土器が使われていたのだ。

尖底土器は、屋外で地面に穴をあけてそこに立てるように置いて使われていたものらしい。
一方、平底土器は住居の中での調理や貯蔵にも使うことができた。すなわち、平底土器の出現は、縄文人のライフスタイルが定住型に変化した証拠だと言われている。
他にも南九州では耳栓やツボ型土器などのモダンな道具が使われていた。

ところが、この南九州で、ある時を境に「先祖返り」が起きたのである。
それまでの最先端の土器は姿を消し、当時本州で使われていた旧式のものが復活したのだ。
この突如として消え去った進んだ文化は「もう一つの縄文文化」とも言われている。

これらの最先端縄文土器は、南九州の遺跡では特徴的なオレンジ色の火山灰層の下にだけ見つかる。この火山灰層は、宮崎ではアカホヤ(「ホヤ」は役に立たないものの意味)、人吉ではイモゴと呼ばれていたものだった。
そして東京都立大学(当時)の町田洋氏と群馬大学の新井房夫氏によって、これらはすべて同じ火山灰であることが証明された。
同様の火山灰は、九州から遠く離れた中部地方でも発見された。そして東北以南の日本列島に広く分布するこの火山灰層の厚さを調べることで、その噴出源が鬼界カルデラであることが突き止められた。この火山灰は「鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)」と呼ばれるようになった。

これが鬼海カルデラ噴火の影響である
中部地方から西に火山灰が降り積もっていた
降灰量が多かった影響は西日本に強く表れていた
西日本では縄文人はほぼ壊滅してしまった
その後に東から西部開拓に入ってきた人が尖底土器を持ち込んでいたのではないか。

九州では早期に土偶が作られていたことから
日本列島の北から南まで文化は広がっていたが、
鬼海カルデラ噴火のあと住人はほぼ壊滅避難拡散した。
再び土偶が作られるようになったのは縄文時代後期以後となる
残りの住民もいたものと思うものの
東日本からの土偶文化の到来はとにかく縄文時代末であった
これでは大陸で水田稲作が始まっていても
この期間、新文化を取り入れるために大陸に出掛けるような人は居なかったのでは無いか
西日本の鬼海カルデラ噴火による壊滅は文化面で
大変な災害だったものと思わざるを得ない

 

          図 「縄文の土偶」 1997年 藤沼邦彦から

西日本の前期以後土偶の少ないことについて、西日本壊滅の鬼海カルデラの影響については全く無視されている。西日本は東日本と全く別な文化の広がりであるかのようである。これは前期から後期まで、噴火の影響が残りつづけ、西日本は縄文文化の発展に浴さなかったのでは無いだろうか。 この項2025.02.23追加

 

図はお借りして補足しています


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コメント一覧

katumoku10
とてもいい情報です。有難うございます。どこかで使わせてください( ^)o(^ )
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