金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

朔旦立春

  補足追加しました。2022.02.09

立春は旧暦1月1日だという勘違いがあるが、ほとんどの場合は正しくないという。
太陰暦では旧暦1日は必ず朔(新月)としているだが、太陽暦の立春は朔 月の相に関係なく定められるため、多くの年は1日にならない。ただし約30年に1度、立春が朔と重なり、旧暦1月1日になる年がある(朔旦立春)。冬至や夏至の場合は期間が長いので太陽暦に縛られず、気にせずに決められる。
このように太陽暦では無い暦を使っている事から起こることで、今、月相を気にしている人はどうなのだろうか。歴史時代は太陽の運行に基づかない暦がずっと行われてきていた。
旧暦(中国・日本の太陰太陽暦)では元日が立春前後に置かれる。
それは立春のころを年初にし、春の始まりと年の始まりを一致させるためであるという。
これを夏正(かせい)という。
四立が成立したのは西周と云われているのに何故立春 正月が夏の時代からとされるのか。
さらに24節気は戦国からと云う。
夏には何処から四立の知識が入ったのか。後からの歴史の積層なのか、古い方が新しいという歴史の創作。
夏正には金生遺跡の四立の観測結果が伝達されていたものだろう、そう考えるしか無いのでは、それで伝統として春秋戦国に立春が尊重されていたものでは。

                        ここ見え難いので拡大

 

図はお借りしました

引用ーーー

 この旧暦(太陰太陽暦)での正月1月1日(すなわち新月の日)は、通常はこの立春の日にほぼ近く前後してきます。しかし必ずしも同日になるものではありません。
ピタリ、旧暦1月1日が立春となる日は、朔旦立春といい30年に一度来ます。次は2038年と予測されます。
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旧暦と立春
立春は旧暦1月1日だという勘違いがあるが、ほとんどの場合は正しくない。
旧暦1日は必ず朔(新月)だが、立春は朔に関係なく定められるため、多くの年は1日にならない。ただし約30年に1度、立春が朔と重なり、旧暦1月1日になる年がある(朔旦立春)。近年は1954年・1992年がそうで、次は2038年と予測される。

旧暦(中国・日本の太陰太陽暦)では元日が立春前後に置かれる。それは立春のころを年初にし、春の始まりと年の始まりを一致させるためである。これを夏正(かせい)という。古代中国夏王朝の正月という意である。平気法ではそのために、立春の次の雨水を含む月を正月(1月)とする。定気法での月名の定義はやや複雑だが、結果はやはり、雨水を含む月が正月となる。

節切りにあっては立春が年初となる。四柱推命や風水などの占いでは、節分までは前年に属し、立春をもって年が改まるとしているものが多い。
節分の豆撒きは立春を年初として、新しい年の幸運を願っての昔からの習慣である。

二十四節気の「立春」は、『暦便覧』では「春の気立つを以って也」とされるが、時候的な解説では、「大寒から立春までは一年のうちで最も寒い季節であり、立春を過ぎると少しずつ寒さが緩み始め、春の気配が忍び入ってくる」とされるのが一般的である。
ただ注意が必要なのは、このような気象的事象のゆえに「立春」が定められたのではなく、冬至から春分への中間点として、暦法上の要請から定められたものだということである。

春の区分は、西欧では習慣的に暑くも寒くもない季節、つまり、春分から夏至までを spring とする。古代中国では昼夜の長短のピークとなる二至(夏至、冬至)と、昼夜の長さがほぼ同じとなる二分(春分、秋分)を各季節の分かれ目とし、これらの中間に各季節の極として四立(立春、立夏、立秋、立冬)を設けた。なお、日本の気象庁では、3月 - 5月が春、6月 - 8月が夏、9月 - 11月が秋、12月 - 2月が冬としている[8]。

新年立春と年内立春
立春の旧暦での日付は大まかに言って、半分の年では新年1月の前半、半分の年では旧年12月(あるいは希に閏12月)の後半である。旧年12月(または閏12月)の立春を年内立春、新年1月の立春を新年立春と呼ぶ。また特に旧暦1月1日にあたる場合を朔旦立春(さくたんりっしゅん)と呼び、非常に縁起のよい日とされている。

より正確に言えば、立春の次の節気である雨水を含む暦月が1月なので、立春翌日から雨水当日までの約半月間に朔(新月)があれば、立春は前年12月(または閏12月)なので年内立春であり、その期間に朔がなければ立春は1月であり新年立春となる。

このように旧暦では年の初めか終わりに立春があり、年によっては2回立春がある反面、立春がない年も発生する。この立春のない年を盲年と呼び、結婚には不向きであるとの伝承がある。

近年の立春の旧暦での日付は次のとおり(未来は予測)。19年周期(メトン周期)でほぼ同じ日付が繰り返され、近年では19年中10年が年内立春、9年が新年立春である。
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中国では伝統的な暦法のことを夏暦(かれき)・農暦(のうれき、??、農?)・陰暦(いんれき)・旧暦(きゅうれき、旧?、舊?)などと呼んでいる。また、ベトナムなどのように黄暦(こうれき)と呼称する国・地域もある。さらに日本では、中国から輸入した暦のことを漢暦(かんれき)と呼んでいた(日本の暦については「太陰太陽暦#日本」も参照)。
夏暦とはもともと古六暦の一つであるが、辛亥革命以後に太陽暦(グレゴリオ暦)が採用されるようになると、それまでの伝統的な太陰太陽暦を総称する言葉となった。これは、中国の太陰太陽暦が建寅の月を年始とする夏正であったためである。

また、一般的に農暦と呼ばれるようになったのは、農村で今でも広く使われているからである[注 1]。
中国国内で2006年に無形文化遺産に登録され[注 2]、2016年、ユネスコが推進する無形文化遺産に登録された[2]。

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暦計算
縄文時代にはこれは無理
太陽暦 二十四節気の暦、七十二候なら出来る

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暦Wiki
太陰太陽暦 (Lunisolar calendar)†
太陰暦と同様に、月の満ち欠けで1か月を定めます。
太陰暦の1年は29.5日×12=354日と1太陽年に比べて11日ほど短く、その差は3年でほぼ1か月に達します。
その1か月をうるう月にすることで、ずれを補正するのが太陰太陽暦です。
平均的な1年の長さは1太陽年に近い値になります。

閏月
日本や中国で使われた暦、ユダヤ暦、古代ギリシャ暦などが該当します。
旧暦†
旧暦とは、厳密には明治五年まで用いられていた天保暦法による暦を指します。
これに対し、現在使われている太陽暦 (グレゴリオ暦) は新暦と呼ばれます。
一般的には、改暦後の暦が新暦、改暦前の暦が旧暦です。
日本で使われた太陰太陽暦全般を指して旧暦と呼ぶこともあります。
旧暦明治五年十二月三日を新暦明治6年1月1日としました。これにちなんで、12月3日はカレンダーの日と呼ばれています。
暦の変更は混乱も伴いますので、明治6年の改暦後も明治42年暦まで旧暦併記が続きました。
旧暦は既に廃止され、天保暦の手順どおりに推算・公表する機関はありません。
一般的には、現代天文学による朔 (新月)や二十四節気の情報をもとに構築されているようです。
各月は朔 (新月)を1日とします。
うるう月の位置は二十四節気で判断します。

周期†
19年周期†
19年 (章法、メトン周期 Metonic cycle)
平均的な1年の長さが太陽年に近づくよう、19年に7回うるう月を挿入します。いわゆる十九年七閏です。
365.2422×19≒ 29.530589×(19×12+7)
19年後の月の満ち欠けはほぼ同じになります。
古代中国暦では19年を1章と呼び、この周期に従ってうるう月を挿入していました。これを章法といいます。
四分暦では1太陽年=365.25日としており、1朔望月=365.25×19÷(19×12+7)≒29.53085日となります。
あくまで近似的な関係ですから、後にはこれに従わずより正確な暦法が現れます。これを破章法と呼びます。

章法
76年 (カリポス周期 Callipic cycle)
ユリウス暦や四分暦のように1年の長さを365.25日とすると、19年ではうるう年の周期が循環しません。
そこでその4倍の76年をとることで、76年に28回うるう月を挿入することにしたものです。
つまり、1朔望月=365.25×76÷(76×12+28)=29+499/940≒29.53085日です。
メトン周期とカリポス周期はどちらも太陽年/朔望月=235/19であり、中国暦法的には章法に分類されます。古代ギリシャの天文学者ゲミノスに沿って整理すると、

メトン周期は、
19太陽年=235朔望月は小の月110個と大の月125個、すなわち110×29日+125×30日=6940日。
ここから、1太陽年=6940÷19=365+5/19日、1朔望月=6940÷235≒29.5319日となります。
これらの数値はAntikytheraの機械でも確認することができます。
カリポス周期は、メトン周期の4倍から1日減らし、
76(=4×19)太陽年=940(=4×(19×12+7))朔望月=(4×110+1)×29日+(4×125-1)×30日=27759日。
ここから、1太陽年=27759÷76=365.25日、1朔望月=27759÷940≒29.53085日となります。
同様に、ヒッパルコスは1年の長さを365.25日より1/300日短いとしたので、さらに4倍して1日減らし、
304(=4×4×19)太陽年=3760(=4×4×(19×12+7))朔望月=(4×(4×110+1)+1)×29日+(4×(4×125-1)-1)×30日=111035日。
ここから、1太陽年=111035÷304=365.24671日、1朔望月=111035÷3760≒29.530585日となります。

その他の周期†
8年 (Octaeteris)
365.25×8=2922日=(29+30)×6×8+30×3という関係から、8年の間にうるう月を3回入れるというものです。
1朔望月=365.25×8÷(8×12+3)=29+51/940≒29.51515日と、あまり精度はよくありません。

84年
76年+8年の周期です。
1朔望月=365.25×84÷(84×12+31)=29+550/1039≒29.529355日と、あまり精度はよくありません。
ただし、365.25×84=30681日が7の倍数であり、曜日が元に戻るという利点があります。
ローマ派がイースターの決定に用いていました。
25年
古代エジプトではうるう年のない365日の太陽暦が用いられていました。
1朔望月=365×25÷(25×12+9)=29+164/309≒29.530744日となります。


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