メトン周期と縄文時代
金生遺跡では立春観測が行われていた。3 突起の土器の存在から月の暦との関係が観測されていたものと推察する。それはギリシャを遡る2000年ほどになるもので、メトン周期を見つけていたギ...
縄文時代早期にどのようにして太陽と月の暦が作られたのか、もう一度考えてみる
エジプトは他の文明に先がけて、太陽暦を発明できたのか?神官と恒星シリウスのおかげ ・・・ 古代エジプトには、読み書きソロバンに長けた知的エリート「神官」がいた。彼らは、夜空にひと...
太陽暦と太陰暦の統一
縄文時代前期に内陸では太陽暦 後にチャイナでは「八節の暦」と記載された が利用されていた。縄文海進の海が広がる関東平野の海辺では、太陰暦 12月の暦が利用されていた。前期以来200...
立春観測の意義
金生遺跡・大配石での太陽暦観測施設の観測点は何故立春だったのか立春観測の意義は何だったのか。 それは朔旦立春で太陽暦と太陰暦をシンクロさせ社会的交流を容易にするためだった暦の起点...
何故立春観測なのか
それは縄文時代には、半年365日/2 182.5日/2 91日/2 45.5日四季を知り、季節の始を知ったと思う、必要は発明の母という、それは縄文時代草創、早期から既に存在し...
縄文時代の暦進化
縄文時代草創期には、土器に突起を付けることは行われていない。縄文時代早期になると、2,4,6の突起を持つ供献土器が現れてくる。縄文時代前期には、8,12突起の土器が現れる。さらに2...
纏向石塚古墳の立春観測と金生遺跡・大配石での太陽観測
立春と冬至の日の出位置を対比する纏向石塚古墳の立春、冬至の日の出観測 纏向石塚古墳の中心線とされる方位 ...
冬至の祭礼
金生遺跡で初めて冬至の日の出を見たとき、配石で見えたものは配石の右側に石が置かれていない空間、芝生の部分があることから、縄文人達はここに座って冬至の日の出を待ったものだろうと思った...
古代文明の発展と太陽暦の関与
エジプト 初めは365日を知らなかったようだシュメール 春分と半年の月の周期 6は知っていたようだシュメールの農耕は、神話によると何処かから来た人により農耕収穫の大幅な増加が出来た...
ノーモンは縄文時代に開発されたのか
世界のノーモンの発明者は誰かノーモンの機能と発明者については世界的に明らかにされていないようだ金生遺跡では太陽暦 二十四節気の暦 の存在は間違いない様子なので縄文時代には金生遺跡以...