縄文早期には土器の縁に作られた突起の数は 4と6 がある。
何故なのか 一年の日数は太陽による季節で二至二分で4分割される
これから太陽の神秘数4 と分る。
半年は月の満ち欠けの周期は 6回 月に関する神秘数6 であることが分る。
土器の縁に突起として付けたのは、これを知っていたから、これが太陽と月が支配する暦の神秘数だったからと判断できる。
この神秘数の発見順序はどのようになっていたのか
二至を知った時点で一年が183+182日が分かり
月の周期は 半年で 6回が分ったものと考える。
二至二分はそれに遅れて発明されたものと考えている。
突起数の起源に関するこうした神秘数は、突起数3の土器が縄文中期の後半頃に現れていることからも判断できる。
3突起を持つ土器はこの時期まで現れて来ていないからである。
3突起を持つ土器の製作がなぜここまで遅れるのか、突起の数を適当に幾つでも付けていたとすれば 3突起の土器が出てこないのはおかしいではないかと思う。
3突起の土器が何故出てこないのか、その理由は、3という数字は、太陽の暦と月の暦を一致させる事が出来るマジック数字で、それが分るにはそれなりの時期が必要だったから。
月の暦が15日区分の上弦と下弦から半年12弦の暦を作り、
太陽暦が8節の暦から同様に 45日/3 15日の区分の二十四節気の暦を作ると、二つの天体の動きを合わせることが出来るようになるからである。
金生遺跡はこうしたことが解明されてから後に、暦の正確さを保つために、立春の日が何時なのか、朔旦立春が何時なのかを観測するために天文台として設置されたものと考えている。
写真はお借りしました