金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

魚釣り テグスの始まり

「室谷下層式」と称されるこれらの土器は多縄文系(押圧縄文、回転縄文など複数の種類の縄文をほどこす)である。とされる、記載されている内容を整理すると

下層出土の土器は平底の深鉢形で、底面は隅丸方形に形成される。作り方は輪積法ではなく、板状の粘土を繋ぎ合わせて作っている。
下層出土の土器をさらに細分すると、
10層から13層で出土する古段階   押圧縄文主体である
6層から9層で出土する新段階    押圧縄文は減って回転縄文主体になっている

下層から出土する草創期の石器は、小瀬ヶ沢洞窟でみられた尖頭器は姿を消し、小型で茎(なかご)のない石鏃、掻器などの限られた種類になる。上層の石器は、磨製と打製の石斧、磨皿、砥石、石錐、石垂、石匙などが加わる[6]。
 特に石錘が加わる 釣り漁の始まりでは 室谷上層でテグスが出来たのでは
それは押圧縄文から回転縄文に変化するというのは、撚り紐がより細く出来るようになったことを示すのでは無いだろうか。
上層からは撚糸文系、貝殻沈線文系、羽状文系の土器が出土するので、下層の時期より更に細い撚り糸が造られ、テグスを示すと思う撚糸文土器が造られ、魚釣り漁が出来るようになっていたのでは無いだろうか。

 

注 テグスといっているのは、釣り用の細い撚り糸が出来たことを示しているだけです。

図はお借りしました

引用ーーーーーーーーーーーーーー

阿賀野川水系の室谷川の左岸、福島県境に近い山間部に室谷洞窟がある。同じく縄文草創期の遺跡として知られる小瀬ヶ沢洞窟から、さらに6.5キロほど上流にさかのぼったところにあり、この洞窟より上流には集落はない。洞窟は室谷川に臨む流紋岩の崖面に開口し、標高は218メートル、洞窟の高さは3メートル、幅は7メートル、奥行は8メートルである[2]。・・・
出土品
洞窟内の堆積土は15層を数え、最上部の1層から5層までを上層、6層から15層までを下層と称する。上層・下層のそれぞれから多量の土器、石器、骨製品が出土した。時期的には、上層の遺物が縄文早期および前期、下層が草創期に属する。下層からは、かつて縄文土器の最古段階とみなされていた撚糸文土器よりさらに古い縄文草創期の土器が出土したことで、小瀬ヶ沢洞窟とともに縄文土器の編年上、重要な遺跡である[4]。

上層からは撚糸文系、貝殻沈線文系、羽状文系の土器が出土するいっぽうで、

「室谷下層式」と称されるこれらの土器は多縄文系(押圧縄文、回転縄文など複数の種類の縄文をほどこす)である。
下層出土の土器は平底の深鉢形で、底面は隅丸方形に形成される。作り方は輪積法ではなく、板状の粘土を繋ぎ合わせて作っている。
下層出土の土器をさらに細分すると、10層から13層で出土する古段階と、6層から9層で出土する新段階に分けられる。前者が押圧縄文主体であるのに対して、後者では押圧縄文は減って回転縄文主体になっている[5]。

下層から出土する草創期の石器は、小瀬ヶ沢洞窟でみられた尖頭器は姿を消し、小型で茎(なかご)のない石鏃、掻器などの限られた種類になる。上層の石器は、磨製と打製の石斧、磨皿、砥石、石錐、石垂、石匙などが加わる[6]。

骨製品は、下層ではわずか2点検出されたのみであった。上層では刺突具、骨針などの骨製品がある。獣骨はツキノワグマ、カモシカのものが多い[7]。

上層からは早期および前期の人骨7体分が出土した。うち前期の3層から出土した女性人骨は屈葬されていた。他の人骨は破片の検出にとどまっている[8]。

2000年12月に室谷遺跡出土の土器、石器、骨製品など1,402点が重要文化財に指定された[9]。
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3期 :隆起線文以後の土器群
隆起線文土器の直後に位置づけられる土器群として、円孔文土器 ・爪形文土器 ・押圧縄文土器などがある。
爪形文土器 ・押圧縄文土器の一部は隆起線文土器からの系統的 ・連続的な型式変化を指摘しうる(大塚 1989)。
円孔文土器の中にも隆起線文土器に共通する文様要素がある(谷口1988)。
編年的な整理には細かい課題が残るとしても、隆起線文土器群から連続的に生起 してきた土器が存在することから、2期との間に少なくとも大きな時間的な間隙はないとみてよい。

押圧縄文土器に始まる多縄文系土器は東 日本一帯に広 く分布 し、回転縄文を多用する段階へと推移する。新潟
県室谷洞窟第 Ⅰ群土器 (室谷下層式)や岐阜県椛の湖遺跡の表裏縄文土器などが代表的である。隆起線文系土器に
後続する円孔文土器 ・爪形文土器 ・押圧縄文土器を3a期、室谷下層式に代表される多縄文系土器 (回転縄文土器)
および併行期の土器群を3b期として時期区分する。 3期の西日本の土器様相ははっきりしない。南九州では隆帯文土器から岩本式すなわち貝殻文円筒形土器(早期初頭)-の型式変遷が論 じられているが(雨宮 1994)、なお資料の蓄積 と検証を要する。隆起線文系以後の土器群の中には、ほかにも型式学的な位置づけの困難な無文土器 ・条痕土器などが少なくない。・・・中略・・・

2期の隆起線文系土器は 15,000GalBP前後に出現し、少なくとも1400年間程度の継続期間があったものと推定される。
隆起線文系土器に型式学的に後続する円孔文土器 ・爪形文土器 ・押圧縄文土器 (3a期)のキャリブレーション年代は、隆起線文系土器の年代域とかなり重複 してお り、2期との間に大差は認められない。
押圧縄文土器から室谷下層式-の型式変化は連続的なものと説明されているが、この年代的整理による限 りでは両者の間に懸隔が認められ、室谷下層式の年代値はむしろ縄文時代早期初頭の年代域(谷口2001・02b)に接近している。
1期から3b期までの初期土器群の年代幅は、16,000calBP~11,400calBPの年代域を中心として約 4600年間と推定される。土器の出現から縄文文化の確立期と目される早期初頭までの間に、4000年以上の長い時間が経過 したことになり、旧石器時代から縄文時代-の移行が従来考えられてきたよりもかなり長いプロセスであったことが分かる。
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