金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

縄文文化の世界文明への貢献

旧石器時代の最後の時期、細石器の時期に
列島では土器が造られ始めていた
次には石鏃も作られた
そして細石器は無くなり
石鏃と土器の時期になった
ここが新石器時代の始まりである。

土器の時代には生産用具の開発が進み
弓矢の使用、弦・紐の開発、石鏃の開発、テグスの開発、漁網の開発
このような生産用具の進化の画期を土器に記録して残していた

最後は文明の始まりの評価基準となる暦の開発である
太陽暦と太陰暦の開発を記録していた。それは鮭の遡上回帰と雑穀の種蒔きの時期を知る必要からと考える。暦開発により、見えない四季の季節の動きを捉えることが出来るようになり、今から先の未来を予測できる技術を獲得した。
そして歴史的思考が出来るレベルに到達した
これにより過去、現在、未来を考えることが出来るようになった
これこそが文明の始まりを明確に示すものである。
そして、暦の開発は農耕実施の必要性から生じたものと考えるので、明らかに雑穀農耕が始まっていたと考える。
縄文時代早期にはこのレベルに到達していたものと、
土器に残されている画期となる歴史の記録から考えている。

   

                     

  図はお借りしました

引用ーーーーーーーーーーーーーー

縄文時代・・・世界最古の縄文土器文明。エジプト文明に並ぶ長期無変動文明(安田喜憲)。
土間式の中国文明に対する高床式の縄文文明?神殿・陸稲・天水田・天文学・外洋航海術・家畜の飼育・縄文精神・「ほどなく王権の成立期を迎えるに足るだけの、文明的な成熟状態にすでに到達していた・・・」「大いなる“母なる母胎”、歴史を背後から支えているものとしての縄文文化-それこそが日本史のたんなる前史なのではなく、いわば基盤をなす土台として、考えられなければならない世界ではないだろうか。」←西尾論の問題点の詳細については、佐々木 2000「縄文的社会像の再構成-二つの「新しい縄文観」のはざまで」『異貌』18号参照。
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草創期遺跡の遺物組成で注目される場合は,
細石器・土器、
細石器・石鏃・土器、
石鏃・土器 
という3通りの組み合わせが見られることであり,
旧石器時代から縄文時代へと緩やかに移行していったことが確認できる。

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 12,000年前 - 前7000年頃    世界各地で細石器文化隆盛
  地域によって時間差があるが、このころ西アジアやヨーロッパ、北アフリカなどで細石器が盛んにつかわれた。細石器の使用は中石器時代の文化の大きな特徴である。日本の細石器(細石刃)文化が発展したのは1万4000年前~1万2000年前ごろで、これより少しはやい。


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