金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

金生遺跡を世界標準時天文台にしよう会

縄文時代早期には貝塚が造られるようになった。それまで出来なかった貝塚が何故造られたのか。
それは太陰暦が造られて、定住している集落の人々が、一丸となって貝拾いに出掛ける日取りを決めることが出来るようになり、集団作業を効果的に行えるようになったからだろう。
前提には二至の暦があって、半年の182日と言う知識があり、月の朔望が30日と分かり、半年 6朔望、潮の満ち引きの時期を知ることが出来るようになり、作業を計画的に進めることが可能となったからと考える。

農耕作業については、証拠となる遺物が残りにくく、遺跡なり遺物ではその実情は、把握しがたいものなので、縄文人が考えて作り出していたものから、推察することになる。
供献土器には2突起と4突起口縁の土器が作られていたことから、2は二至の暦の開発がされていたことを示すものであり、4はその半年の暦から春と春の初め、夏の初め、チャイナの表記では春分と立春、立夏とを示すものと考える。何れも暦の区分を示して、半年で四分する暦を開発していたものと考える。

           飯盛山の名称は間違いで 小川山 となります

文明開化の評価指標としては、現在決められていないものの、暦開発という技術が、作成された時をもって文明の開始とするのが良いのでは無いか。
本当の人類の知識が蓄積され始めたのは、石器作りでも土器作りでも無く、実体は無くても認識できる、暦のようなものを考え出したことは大変な進歩であったものと考える。現代でいえば、宇宙開発に相当するものと考える。
時間の流れを捉えていることになり、そ存在するものとしては捉えられない、過去、現在、未来を想像させるものである。
これこそが文明の始まりを示す基本的指標となるのでは無いか。

この事を考えさせる起点となった金生遺跡の大配石は、文明開始の起点を示すものとして、世界標準時の起点として採用するのが良いのでは無かろうか。
特に現在、環境問題が地球生命に危機をもたらしかねないと認識され始めていて、それでも有効な方法を見いだせていないことから、10000年のそれなりに継続出来た縄文文明は見直されても良いと考える。世界文明の開始を示す縄文文明は、ここでもう一度文明の転換点でも重要な役割が果たせるのでは無いか。
その観点からも、金生遺跡を世界標準時として採用するのは、今こそ重要なのでは無いか。

 

図はお借りしました


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