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“量子もつれ”その存在が証明され、ノーベル賞に輝いたのは2022年のことだった。

“量子もつれ”その存在が証明され、ノーベル賞に輝いたのは2022年のことだった。

天才・アインシュタインが「オカルトだ」と否定し、現在も数多の数学者・物理学者たちが「なぜ起きるのか、理解が難しい」と話す“量子もつれ”。
いかなる遠隔地でも繋がる量子の奇妙な性質「量子もつれ(Entanglement)

お借りしました

歴史経過   歴史経過についてウェブ情報を集めて、それをお借りして纏めてみました
“量子もつれ”その存在が証明されるまでの困難な道のり。
アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス - Wikipedia  量子力学が一応の完成を見たとされる1930年からわずか5年後の1935年、「EPR論文」とよばれる有名な論文が発表されている。それは、「量子もつれ」を用いて、量子力学が「不完全な理論」であると指摘するものだった。
 2つの粒子があって、1つがスピン(以前にパウリが唱えた量子情報)が上と測定出来たとすると、コペンハーゲン派閥の主張では「同時に」もう片方が下のスピン(エネルギー保存則で決定)と決定されることになります。
では、その2つの粒子の距離が数光年離れていたとしたらその情報伝達が光の速さを超える、つまり特殊相対性理論に反する。なので、別の隠れた変数があるのである、というロジックです。ようは、光速すら超える「不気味な遠隔作用」を突いたわけですね。この論文を喜んだのは、あの量子力学で普及した方程式を考案したシュレディンガー氏です。
そして、彼が歴史的に初めて、いかなる遠隔地でも繋がる量子の奇妙な性質を「量子もつれ(Entanglement)」と名付けました。

1940年代以降になると、量子力学に基づく実験事実が理論に合致することから、(コペンハーゲン派閥が確立したとされる)確率による存在予測(非実在論)を表す量子力学の原理的な解釈に首を突っ込む研究者は少なくなっていました。
そんな中でボーム氏は、ド・ブロイ氏が以前から提唱していた概念を発展させます。
ψ場という粒子を先導(Pilot)する波が実はあり、さらにそこには「量子ポテンシャル」という場がある、という解釈です。勿論実存派は支持しましたが、あいにくボームの研究を拾って議論を深める研究者はそれ以上現れず、10年以上の時間がたちます。

存在確率を採用した量子力学支持者に対して、決定論者であるアインシュタイン氏に対するボーム氏の反論は、当時既にその理論を応用した研究が盛んだったこともあり、大局を変えるには至りませんでした。
例えば、コンピュータ演算で使われる半導体は、量子力学によって導かれるトンネル効果によってその効果を発揮しています。

そしてついに、「量子もつれ」の最終コーナーへとつなぐ、運命の研究者にバトン(または運命のもつれ)が渡されることになります。勝負はついたかに見えた時代背景をよそに、ボーム氏たちが提唱した抽象的な思考実験でなく、実証可能なアイデアを提唱した科学者が登場します。

当時CERNで勤務していたジョン・スチュアート・ベルです。
元々エンジニアでしたが、量子物理学の専門家ではなく、どちらかというと個人の嗜好で研究を進めていました。
そしてついに、ボーム氏の考え方を実験で評価できるアイデアを1964年に提唱し、その判別式を「ベルの不等式」と呼びます。
ベルの不等式 - Wikipedia  ようは、隠れた変数がある(決定論である)と仮定したときとそうでないときの相関度は違った値をとり、それを数値評価できるようにしました。シンプルに言うと、もし不等式が破れれば、アインシュタイン氏たちが支持する実存性はない、と断定できます。

 実はクラウザーさんはアインシュタインの大ファンで、「量子もつれなんか存在しない」というのを証明してやろうと、実験装置を自作しようとする。実験企画書を書いてジョン・ベルに見せると、やる価値があるとほめてもらえたが、所属する大学では認めてもらえず、企画書をほうぼうに持ち込んでカリフォルニア大バークレーでやらせてもらえることになったが、予算が全然ない。それで、大学内のごみ箱あさりをして、他の研究室が捨てたり放置したりしている実験機材、部品を拾う、修理する、本人コメント 「作るか、見つけるか。借りるか、盗むか」そうやって手作りした長さ5mほどの装置で実験したら、なんと「量子もつれはある」という結果が出ちゃった。                「私は失望したよ。なぜなら私はアインシュタインの大ファンだったから」。
でも、この装置、規模距離が小さすぎて、光粒子の干渉がおきているんじゃないかと批判されて、認めもらえない。  1969年から1976年まで実験をつづけたが「みんなに言われたよ。『重要なことは何もしていない。君は他の仕事を探すべきだ』と・そこで私は研究室をさることにしたよ」

 しかし、ここでことは途切れない。このクラウザーの装置の問題を改善する学者が現れる。
1976年、ジョン・ベルがシチリア島で量子もつれの学会を開催。わずかな参加者しかいなかったけれど、ここに来たアラン・アスペという学者がやる気を示す。ベルの「本当にやるのか」に対して、やると決意表明して、そしてクラウザー装置の改善策を考え出したのだ。水の入った小さな箱を加えることで。
ベルからは、定職があるなら良い、やっても良いよと言われた。・ そしてこの装置での実験結果で、量子もつれ「ベルの不等式、過去最大の破れ」つまり、量子もつれがあるという結果に。そして

1997年にツァイリンガー氏(右)によって行われた実験により「量子もつれ」は完璧に証明されました。

この3名がノーベル物理学賞を受賞した
これでついに、長年続いた思考実験(哲学論争にも近い)が、ついにリアルな実験結果で評価が下されたことになります。アインシュタイン氏の唱えた「隠れた変数」はないことはほぼ証明されましたが、それは同時にどんなに離れていても相関する「量子もつれ」を認めることにもつながりました。
ということで当初はEPRパラドックスと呼ばれたものは、今や「EPR相関」ということに・・・。

最後にふれた、量子もつれが実験室で簡単に実現できるようになってからは、目覚ましい研究成果が発表されています。おそらくは、当面量子通信分野では工学上の成果が先立つと思いますが、ボーム氏やベル氏が当時の常識に逆らったのがきっかけだった、というのは忘れてはいけない歴史的事実だと思います。
アインシュタインも相対性理論でそうだったように、時代を大きく変えるのは、常識にとらわれない発想と勇気を持った挑戦者であることを改めて思い出させます。

これはただ歴史経過を纏めただけで、内容の理解には達していません。


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