3/19 水戸偕楽園 好文亭
奥御殿から奥に好文亭を望む

竹の間






室内の杉戸には古今集の和歌が華麗な色紙・短冊に書かれてあったが火災により損傷した。
原画は藩医小松玄甫、復元は東京芸術大学の先生があたった。

太鼓廊下を渡り木造2層3階建ての好文亭本館へ
華燈口

東塗縁。列公が藩内の家臣、庶民の老人を招いて慰労の催しをされた総板縁の室。
養老の催しは、諸士は80歳以上、庶民は90歳以上の者を招いた。



西塗縁

藩主の間



西塗縁。東西3間、南北6間の塗縁の大広間。ここで詩歌の宴などが催されていた。

障子の白色と、総板縁の黒色と、庭園の梅が見事な調和をみせる

北側と西側各2枚の杉戸には作詞作歌に便するため、四声類別表-平仄(ひょうそく)が書かれている

床の間左側には、烈公が陣太鼓を作ったときの余材を利用して作った漆塗り丸窓の富士見窓を有する


杉板のアジロ張り天井

三階を「楽寿楼(らくじゅろう)」と呼んでいる。この八畳間の正室からの眺め

田鶴鳴梅林の眺望

配膳用のエレベーター。この配膳用エレベータは烈公(徳川斉昭公)の創意によるものと伝えられている。

好文亭から表にでると

待合(まちあい)
茶室何陋庵(かろうあん)の露地の西側にある。
茶室に招かれた客が、席の準備ができるまで控え待つ場所
間口9尺(2.7m)、奥行6尺(1.8m)、屋根はチガヤ葺き。三方は壁、内側に腰掛けがある。

奥御殿から奥に好文亭を望む

竹の間






室内の杉戸には古今集の和歌が華麗な色紙・短冊に書かれてあったが火災により損傷した。
原画は藩医小松玄甫、復元は東京芸術大学の先生があたった。

太鼓廊下を渡り木造2層3階建ての好文亭本館へ
華燈口

東塗縁。列公が藩内の家臣、庶民の老人を招いて慰労の催しをされた総板縁の室。
養老の催しは、諸士は80歳以上、庶民は90歳以上の者を招いた。



西塗縁

藩主の間



西塗縁。東西3間、南北6間の塗縁の大広間。ここで詩歌の宴などが催されていた。

障子の白色と、総板縁の黒色と、庭園の梅が見事な調和をみせる

北側と西側各2枚の杉戸には作詞作歌に便するため、四声類別表-平仄(ひょうそく)が書かれている

床の間左側には、烈公が陣太鼓を作ったときの余材を利用して作った漆塗り丸窓の富士見窓を有する


杉板のアジロ張り天井

三階を「楽寿楼(らくじゅろう)」と呼んでいる。この八畳間の正室からの眺め

田鶴鳴梅林の眺望

配膳用のエレベーター。この配膳用エレベータは烈公(徳川斉昭公)の創意によるものと伝えられている。

好文亭から表にでると

待合(まちあい)
茶室何陋庵(かろうあん)の露地の西側にある。
茶室に招かれた客が、席の準備ができるまで控え待つ場所
間口9尺(2.7m)、奥行6尺(1.8m)、屋根はチガヤ葺き。三方は壁、内側に腰掛けがある。

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