徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

日光二荒山神社

2012-05-16 02:38:45 | 2012栃木歳時
日光山内の社寺は、東照宮、二荒山神社、輪王寺に分かれ、これらを総称して「二社一寺」と呼ばれている。東照宮は徳川家康を「東照大権現」という「神」として祀る神社である。一方、二荒山神社と輪王寺は奈良時代に山岳信仰の社寺として創建されたもので、東照宮よりはるかに長い歴史をもっている。ただし、「二社一寺」がこのように明確に分離するのは明治初年の神仏分離令以後のことであり、近世以前には、山内の仏堂、神社、霊廟等をすべて含めて「日光山」あるいは「日光三所権現」と称し、神仏習合の信仰が行われていた。

1999年(平成11年):「日光の社寺」が世界遺産(文化遺産)に登録

二荒山神社 門前の常行堂




堂内




大獣院入り口 ここで拝観料払い、陽明門を・・今回はpass


日光二荒山神社 創建 神護景雲元年(767年)
古くより、霊峰二荒山(ふたらさん・男体山)⇒標高2,486㍍を
神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、御山を御神体山と
仰ぐ神社で、日光の氏神様でもあります。
日光市内に3社鎮座しています。
  男体山山頂⇒ 奥宮
  中禅寺湖畔⇒ 中宮祠
  山内(市内)⇒ 御本社 (今回ここです)




神門をくぐると、門の両側に親子杉、夫婦杉の巨木がある




拝殿
神門をくぐると正面に拝殿がある。間口16メートル、奥行き12メートルで単層入母屋-たんそういりもや-、 反り屋根造り、黒漆塗りの銅瓦ぶき。総弁柄-べんがら-漆塗りで回り縁がある。
 正面中央に石段があり、その上3間(5.5メートル)は両開きの唐戸だが、そのほかは全部蔀戸-しとみど-(格子組みの裏に板を張り、日光をさえぎり、風雨を防ぐ戸)になっている。拝殿の奥は石段で下り、渡り廊下で唐門を通ると本殿に続く。
造営の年代は明らかではないが、正保-しょうほう-年間(1644~48)ごろと考えられている。



拝殿内


社務所


神苑に入ると、杉の御神木が目に入ります。


境内でいちばん大きい御神木




二荒霊泉


日光連山をはじめとて、
御神域は、3,400㌶におよぶ広大な境内地です。


日枝神社(重要文化財・世界文化遺産)
御祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと)
鎮座:嘉祥元年(848年)鎮座
建築様式:一間社入母屋造


高野槙 (こうやまき)
弘仁11(820)年、弘法大師 空海が参拝の時に、お手植えしたと伝えられている槙の木です。
間口5.7メートル、奥行き4.5メートルの石玉垣に囲まれて、樹齢1000年を超える槇の老木。
 

本殿-ほんでん-
 徳川2代将軍秀忠公が寄進した安土桃山様式の優美な八棟造り-やつむねづくり-の本殿は、元和-げんな-5(1619)年に造営した当時のままの、ただ1つの建造物として、重要文化財になっている。


化燈籠(ばけとうろう
唐銅燈篭(重要文化財)
御本殿透塀にそって、多くの奉納された石燈籠と共に、唐銅製春日造の燈籠があります。
鎌倉時代正應5年(1,292)鹿沼権三郎入道教阿によって奉納されたもので、作者は常陸国三村六郎守季とあります。
 夜に灯をつけると、怪しげな姿に変わるというので、警護の武士に斬りつけられて無数の刀傷があり、俗に『ばけとうろう』の名で知られている。




大国殿(重要文化財・世界遺産)
建築様式:宝形造
招き大国様をおまつりしています。
宝刀・太郎丸を展示しています








本殿
御祭神 二荒山大神 (ふたらやまのおおかみ)
     ⇒親子3神を祀る
      大己貴命   (おおなむちのみこと)     父
      田心姫命   (たごりひめのみこと)     母
      味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと) 子





石灯籠が並ぶ上新道



上新道を経て 東照宮前 五重の塔
建物の朱色だが、京都や奈良の宮殿の鮮やかな朱色と少し異なる気がする。
茶色が入って少し色調が暗く感じる。



京都/奈良の社寺も見てきたが、日光の世界遺産も素晴らしい歴史建造物だと改めて感じた。
今度はゆっくり時間をかけてガイドブックとカメラを持って拝観したいものだ


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