2014 4/22 福島県郡山市中田町
GWも終わりに近づき、つつじや藤、山ではアカヤシオなどが満開になっているようですが、 未だ桜にこだわる。
来年までに書きとめておかないと、春が過ぎたら忘れてしまう間違いなく・・
三春の滝桜の近辺、少し南の中田町にもしだれ桜の大木が結構あるのですね。もらったパンフレットのmapを基に、
全部は見られなかったけど、一部撮った写真を載せました。 ほぼ夕刻近かったので、色は暗いですね
五斗蒔田桜のところにあった看板。 東の枝垂れ番付はやはり滝桜
有名な1本桜は、ほとんどがしだれ桜。ソメイヨシノは寿命が短く、集団であでやかさを競う
上石の不動桜
(郡山市中田町上石)
三春滝桜の子孫と云われてます。樹齢350年のしだれ桜
不動明王をまつる不動堂の境内にあるためこの名がついたとされ、滝桜の子孫と伝えられています。 江戸時代の末頃に、三春藩士がこのお堂を寺子屋として使用し、その名残が天井などの落書きに見受けられるそうです。
市の天然記念物に指定されてます
太い幹
紅枝垂地蔵桜
(郡山市中田町木目沢)
三春滝桜の娘と云われる樹齢400年のしだれ桜
この桜の下には地蔵堂があり、昔から赤ん坊の短命、夭折の難を逃れるため、この地蔵に願をかけたと言われています。
地蔵桜という名は地蔵堂にちなんで命名されたそうです。
市の天然記念物に指定されてます
名前のとおり鮮やかな薄紅色
伊勢桜
(郡山市中田町黒木宮ノ前)
シダレザクラ - 推定樹齢250年
三春から中田町へ通じる道路の土手にあります。道路にせり出すように咲いている。
なぜ伊勢桜というのか看板など説明がなかったけど、近くに伊勢屋というお店がありました。
道路反対側の河原にも桜の並木があります
忠七桜
(郡山市中田町牛縊本郷 )
シダレザクラ - 推定樹齢160年
小高い丘の中腹に咲く色鮮やかな桜です。
一般の民家の庭にある個人所有の桜で、近くに用意された観桜台からの長めが素晴らしい。
桜の由来について: 三春滝桜の娘。戊辰戦争時に官軍の荷運びに懲役された宗像忠七翁が、会津の惨状を目の当たりにし心を痛め、
会津の人々の霊を慰めるため祠を建て、自宅前に植えてあった桜などを移植し、この山を寿命山と名づけ、整備したといわれています。
忠七翁は遺言として桜と公園を守り、末代まで供養するよう言い遺しました。
五斗蒔田桜
(郡山市中田町木目沢)
シダレザクラ - 樹齢推定350年
紅枝垂地蔵桜から徒歩約15分ほどのところにあり、小高い畑の上に立っている。三春の滝桜の子孫と言われている。
この桜の土手下には馬頭観音様がまつられていおり、地主は馬頭観音桜と命名する予定でしたが地名の五斗蒔田をとって
五斗蒔田桜と呼ばれるようになりました。
競うなかれ我はわれされど凛と咲く
日没です
GWも終わりに近づき、つつじや藤、山ではアカヤシオなどが満開になっているようですが、 未だ桜にこだわる。
来年までに書きとめておかないと、春が過ぎたら忘れてしまう間違いなく・・
三春の滝桜の近辺、少し南の中田町にもしだれ桜の大木が結構あるのですね。もらったパンフレットのmapを基に、
全部は見られなかったけど、一部撮った写真を載せました。 ほぼ夕刻近かったので、色は暗いですね
五斗蒔田桜のところにあった看板。 東の枝垂れ番付はやはり滝桜
有名な1本桜は、ほとんどがしだれ桜。ソメイヨシノは寿命が短く、集団であでやかさを競う
上石の不動桜
(郡山市中田町上石)
三春滝桜の子孫と云われてます。樹齢350年のしだれ桜
不動明王をまつる不動堂の境内にあるためこの名がついたとされ、滝桜の子孫と伝えられています。 江戸時代の末頃に、三春藩士がこのお堂を寺子屋として使用し、その名残が天井などの落書きに見受けられるそうです。
市の天然記念物に指定されてます
太い幹
紅枝垂地蔵桜
(郡山市中田町木目沢)
三春滝桜の娘と云われる樹齢400年のしだれ桜
この桜の下には地蔵堂があり、昔から赤ん坊の短命、夭折の難を逃れるため、この地蔵に願をかけたと言われています。
地蔵桜という名は地蔵堂にちなんで命名されたそうです。
市の天然記念物に指定されてます
名前のとおり鮮やかな薄紅色
伊勢桜
(郡山市中田町黒木宮ノ前)
シダレザクラ - 推定樹齢250年
三春から中田町へ通じる道路の土手にあります。道路にせり出すように咲いている。
なぜ伊勢桜というのか看板など説明がなかったけど、近くに伊勢屋というお店がありました。
道路反対側の河原にも桜の並木があります
忠七桜
(郡山市中田町牛縊本郷 )
シダレザクラ - 推定樹齢160年
小高い丘の中腹に咲く色鮮やかな桜です。
一般の民家の庭にある個人所有の桜で、近くに用意された観桜台からの長めが素晴らしい。
桜の由来について: 三春滝桜の娘。戊辰戦争時に官軍の荷運びに懲役された宗像忠七翁が、会津の惨状を目の当たりにし心を痛め、
会津の人々の霊を慰めるため祠を建て、自宅前に植えてあった桜などを移植し、この山を寿命山と名づけ、整備したといわれています。
忠七翁は遺言として桜と公園を守り、末代まで供養するよう言い遺しました。
五斗蒔田桜
(郡山市中田町木目沢)
シダレザクラ - 樹齢推定350年
紅枝垂地蔵桜から徒歩約15分ほどのところにあり、小高い畑の上に立っている。三春の滝桜の子孫と言われている。
この桜の土手下には馬頭観音様がまつられていおり、地主は馬頭観音桜と命名する予定でしたが地名の五斗蒔田をとって
五斗蒔田桜と呼ばれるようになりました。
競うなかれ我はわれされど凛と咲く
日没です
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