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鑑真は何度も日本へ来るために失敗して失明したことで知られます。
聖武天皇は戒律を授ける僧を中国に求めました。自称僧が増えたためだそうです。
それは大仏建造を祈願した年で、中国でも有名な戒律僧鑑真に依頼しました。弟子たちに話したが、だれも遭難を恐れて、行きたがらないので自ら日本へ向かうことにしたそうです。
中国でも日本へ行くことをとどめられたり、遭難、漂流をするなど5度の失敗を経て、とうとう失明してしまう。
それでも6度目にやっと日本にたどり着き(その時日本に向かった4隻の内2隻だけがたどり着き、阿倍仲麻呂が乗った船は中国へもどった)、大宰府で最初の戒を授け、奈良に上った。奈良東大寺に戒壇院を設けて、下野の薬師寺、大宰府の観世音寺と合わせて三戒壇といわれます。
鑑真は自ら即身仏(ミイラ)となることを望んで、食事を制限して亡くなったといいます。しかし、湿度の多い日本の気候でミイラとなることはかなわず、弟子たちは等身の御像を作りました。
目がくぼんでいるのは、失明されたのもありますが、食事をとらず即身仏となろうとしたせいかもしれません。
中国では禅宗の六祖慧能の即身仏が南華寺にまつられるなど、例があります。
身を呈して日本の仏教のために尽くした鑑真は中国でも尊敬される存在として、長大なドラマなども作られているようです。
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