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鎖国でも海外の情報を入手する努力は「解体新書」の刊行などにもみられました。
では、日本から発信することはなかったのか?
わずかな例として、佐賀の柿右衛門様式の磁器を挙げたいと思います。
佐賀で陶磁器がさかんになったのは、豊臣秀吉が朝鮮への出兵を行い、諸将が帰国の際に連れて帰った陶工たちによるとされます。朝鮮の陶工はもともと陶器を作っていましたが、磁器の製法を学んで日本で磁器の製造がはじまりました。
この磁器の生地を「にごし手」と呼ばれる乳白色にして、繊細で美しい色絵をつけた柿右衛門様式磁器がヨーロッパに輸出されました。
その美しさはヨーロッパの人達の関心をよんで、大いに受け入れられ、マイセン(ドイツ)やチェルシー(イギリス)、シャンティ―(フランス)などの窯が意匠をまねました。
もともと中国陶磁が輸出できなくなったために輸出が始まったのですが、回復するとしだいに日本からの輸出が減りました。
また、にごし手に美しい色絵を描くのも元禄ころまでの短い間だけでした。
しかし、日本の美術を世界にひろめた功績は非常に大きいと思われます。
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