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Re.1998.7.31

2008-07-31 18:51:30 | 旧メンバーブログ
1本で、誰でもヒーロー

サヨナラ劇の主役は、
「太陽」という名前の選手だった。

「でっかく、明るい人に」父が名づけた。

22年前の夏、決勝。
最高気温、31.8度の暑い日だった。

「なぜ、あの場面で打てたのか。野球を心から楽しんでいたからだと思う。」

初出場で、優勝した58回大会の桜美林。

西東京大会から、先発出場することがなかった3年生。
菊池太陽は、7回から代打、レフトで出場した。

2年生の冬、せきついの分離症に苦しめられ、
腰から下がしびれるように、痛んだ。

「野球はやめたほうがいい。」と諭す医者もいた。
針と灸で痛みを抑え、西東京大会では、

代打が3回、甲子園でも、決勝までは守備に
1度入っただけだった。

決勝のPL学園
3-3のまま延長戦に入った。

11回裏、無死1塁。太陽は
最初のストライクを打とうと決めていた。
2球目、内角の直球を強振。打球はレフトの頭上を越えた。

1塁走者が3塁をけって本塁に向かう。
「速く、走れ。」
心の中で何度も叫んだ。ヘッドスライディング

太陽は、2塁を回ったところで、ベンチから飛び出した
仲間の下へ、走っていった。

★☆★★☆★★☆★★☆★★☆★★☆★

太陽は、昨年から少年野球のチームの監督を始めた。
小学5,6年生で10人。

おなかのあたりに肉が付いた。
ノックでフライを打ち損ねることもある。

「監督、ほんとに甲子園に出たのって冷やかされるんです。」
と笑う。

監督になると、心に決めたことがある。

試合には、できる限り、全員を出場させる、ということだ。

「上手、下手より、野球を好きになってほしい。
 グラウンドに立てば、誰でもヒーローになる可能性があるんです。
 あの日の僕のように・・・・・。」

(朝日新聞 1998年 7月31日付け 夕刊 夢のせて甲子園より)

テレビを見れば、タレントが、
ヒーローのように輝いている。
スポーツでも、これから始まるオリンピックに出場する選手達は
日本のヒーローである。

男の子なら、ヒーロー戦隊もの、仮面ライダーものを見ては
ヒーローになりたい

誰もが1度くらいそんな風に思ったことがあるのではないでしょうか。

ヒーロー★

自分が1番ヒーローに近づいた瞬間ってどんな時ですか。

ノリも考えてみるものの、ぱぁと思い浮かびはしないですね。
自分が目立ってしまった時なのか
誰かを守れた時なのか

ヒーロー☆
あなたの思うヒーローの定義、考えてみてはいかがでしょうか?





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2 コメント

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ヒーロー (nori)
2009-07-10 15:31:12
いつの時代にも、
自分だけのヒーローいるもんですよね!!

野球の楽しさのみならず、
人に楽しさや面白さを伝えられる人
素敵だなぁって思います。

このブログを読んでくださって
ありがとうございます。

返信する
太陽さん ()
2009-07-07 21:31:41
私の時代のヒーロー菊池太陽さん・・・・・。
時日は流れ、
息子が、入ると決めたシニアに太陽さんがいらっしゃると知って、ますますこの年になってから野球の楽しさを、好きになってくれることを子供たちに伝えたい気持ちが強くなりましたね。
返信する

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