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Re.1998.10.9

2008-10-09 14:30:58 | 旧メンバーブログ
ひと 権藤 博 監督

38年ぶりの優勝
横浜ベイスターズ監督

大リーグでプレーする野茂英雄、吉井理人投手の育ての親として
知られていた。それに今度は優勝監督の称号が加わった。

「俺も含め、投手はわがままなやつが多い。プライドを大事に
 してやりたい。」

コーチとして、17年間、中日、近鉄、ダイエー、横浜の
4球団を渡り歩き、選手側の立場で発言してきた。投手起用をめぐり
監督と意見が食い違っても、選手を甘やかしすぎだと批判されても、

「投手の肩は消耗品」という持論は曲げなかった。
気骨ある性格が、野茂の個性派と通じ合えたのだろう。


「監督」と呼ばれるのを嫌う。4月の開幕日には
自分の胸を指し、「ここはコーチのままですよ」といった。

新人監督の照れかと思ったら、違った。投手の動揺を察知すると、
コーチには任さず、自らがマウンドに向かう。

あるときは、『攻めろ、ばかたれ』と一喝し、
あるときは、「試合はおまえにあげる」と刺激し、投手を奮い立たせる。
潜む力を引き出す術が巧みだった。


佐賀・鳥栖高校からブリジストンタイヤを経て、1961年に中日入りした。
1年目に35勝をあげ、新人王、翌年も30勝をマークした。

だが、投げすぎで肩を壊す。内野手に転向してみたが、
わずか8年で現役生活に終止符が打たれた。
経験は、自らの指導理論に生きている。

グラウンド外では、ラグビー通として知られ、
「おれだったら、いいフォワードになれたと思う。」
と話したこともある。

瞬時の判断力が求められるところに、共感する部分があるのかもしれない。

連日、仕事を終えると球場に向かい、ネット裏から
父親を見つめた次女嘉江子さんは言う。

『監督になったからといって、気負うわけでもない。尊敬しています。』

変わらない姿が、管理野球を嫌う若手の心をとらえた。

(朝日新聞 1998年 10月9日 ひと より)

10年前の昨日、横浜は優勝を飾った。
栄光の日々から、10年が過ぎ、今年の横浜は
勝率を4割きり、負け越しの最下位が決定している。

明るいニュースは、首位打者を走る内川選手と
本塁打1番を走る村田選手の存在だろう。

10年前の栄光を味わった選手も少なくなっただろう。

王監督はまだ弱かったホークス時代、選手に
優勝の喜びを味わってもらいたい・・と言ったそうだ。

1度頂点に君臨することで、何か選手の意識も変わるのだろう。

相撲の世界で不祥事が叫ばれる中、プロ野球は
それほど、大きい不祥事はない。

それよりも
北京オリンピックでのメダル期待、日本人メジャーリーガーの活躍、
そして白熱するパリーグ、セリーグのプロ野球と

野球のニュースがない日はない。

残り試合がわずかになったとはいえ、横浜ベイスターズ
来年へと繋がる勝利に期待したい。




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