作家の野坂昭如さん死去 85歳 「火垂るの墓」で直木賞
新聞の訃報記事を上記に貼って居ます👆
私にとっては 昭和のジャンヌダルクと言おうか ドン・キホーテの様に突然 当選したばかりの参議院議員を辞職して田中角栄の新潟3区の衆議院議員選挙に出馬する等の思いつきとしか受け取れない突飛な行動なさるトンデモナイ人とのイメージだけが付いてまわり それ以外の事でも 大島渚氏と殴りかかったり 反面・童謡も作詞して多方面に活躍して居た直木賞作家の野坂昭如さんが亡くなりました
病に倒れる前には 直接マイクの前で話されて 病の後は 時々ラジオの番組で色々憂いているお便りを聴いてましたので 早く治って野坂節をラジオから聴きたいと思っておりました
『黒の舟唄』が ヒットした頃には 渋谷の教会の地下に有った『ジャンジャン』で 私が・スタッフの真似事をしていた頃に黒づくめとサングラス姿で何回もお目にかかりました
とても暗い会場でしたので 雰囲気は 見た目よりも更に大きく感じられた人でした
渋谷の『ジャンジャン』だけでなく青山の『青い部屋』は 作家の皆様の溜り場でしたので 此方でも私の東京スクール・オブ・ビジネス時代の恩師に連れられて伺ったお店で何度も御見掛けしました
代表作で自伝とも言われた火垂るの墓も何回も読みましたが アニメでしたが 如何しても火の粉の舞う中を逃げまどう場面や飢えに苦しんで居る映画の場面は 如何しても直視出来ませんでした
同じ様に 終戦前後の子供達の悲惨さやは 先代・林家三平さんの奥様が 自らの体験を本や語りで色々と伝えられておられます。
何故か あの戦争で亡くなられた人達は 靖国神社や遺族会や年金などで手厚く遺族の方々にこの国は して居るのですが 弱者と言うべき 民間人達の東京大空襲そのものの機銃掃射で亡くなった人達や 焼夷弾で町を家を焼かれて 逃げまどって 犠牲になった方々や 一家が全滅して名も分からず無縁仏の方々は 両国の関東大震災の震災記念館の一角に忘れ去られた様にまつられて居るとうかがいました
その後に生き残った軍属以外の方々には この国は 何の手を差し伸べる事も無くて 御苦労をされたと伺いました。 野坂さんも焼け跡派として 苦労された お一人です
反戦と言うたてまえの言葉よりは 悲惨さ・貧しさ・餓えに苦しんだ子供の時の体験を伝えられた方が 又一人此の世からいらっしゃらなくなりました。 とても大事な事なのです

何方かと言うと国を守ると言う大義名分の為に置き去りに成る人達や弱者の子供達の事を忘れたかの様な此の国を憂いながら亡くなられたのでしょうか?
心からお悔やみを申し上げます
追記 2015.12.11.02.11分記
新聞の訃報記事を上記に貼って居ます👆
私にとっては 昭和のジャンヌダルクと言おうか ドン・キホーテの様に突然 当選したばかりの参議院議員を辞職して田中角栄の新潟3区の衆議院議員選挙に出馬する等の思いつきとしか受け取れない突飛な行動なさるトンデモナイ人とのイメージだけが付いてまわり それ以外の事でも 大島渚氏と殴りかかったり 反面・童謡も作詞して多方面に活躍して居た直木賞作家の野坂昭如さんが亡くなりました
病に倒れる前には 直接マイクの前で話されて 病の後は 時々ラジオの番組で色々憂いているお便りを聴いてましたので 早く治って野坂節をラジオから聴きたいと思っておりました
『黒の舟唄』が ヒットした頃には 渋谷の教会の地下に有った『ジャンジャン』で 私が・スタッフの真似事をしていた頃に黒づくめとサングラス姿で何回もお目にかかりました
とても暗い会場でしたので 雰囲気は 見た目よりも更に大きく感じられた人でした
渋谷の『ジャンジャン』だけでなく青山の『青い部屋』は 作家の皆様の溜り場でしたので 此方でも私の東京スクール・オブ・ビジネス時代の恩師に連れられて伺ったお店で何度も御見掛けしました
代表作で自伝とも言われた火垂るの墓も何回も読みましたが アニメでしたが 如何しても火の粉の舞う中を逃げまどう場面や飢えに苦しんで居る映画の場面は 如何しても直視出来ませんでした
同じ様に 終戦前後の子供達の悲惨さやは 先代・林家三平さんの奥様が 自らの体験を本や語りで色々と伝えられておられます。
何故か あの戦争で亡くなられた人達は 靖国神社や遺族会や年金などで手厚く遺族の方々にこの国は して居るのですが 弱者と言うべき 民間人達の東京大空襲そのものの機銃掃射で亡くなった人達や 焼夷弾で町を家を焼かれて 逃げまどって 犠牲になった方々や 一家が全滅して名も分からず無縁仏の方々は 両国の関東大震災の震災記念館の一角に忘れ去られた様にまつられて居るとうかがいました
その後に生き残った軍属以外の方々には この国は 何の手を差し伸べる事も無くて 御苦労をされたと伺いました。 野坂さんも焼け跡派として 苦労された お一人です
反戦と言うたてまえの言葉よりは 悲惨さ・貧しさ・餓えに苦しんだ子供の時の体験を伝えられた方が 又一人此の世からいらっしゃらなくなりました。 とても大事な事なのです

何方かと言うと国を守ると言う大義名分の為に置き去りに成る人達や弱者の子供達の事を忘れたかの様な此の国を憂いながら亡くなられたのでしょうか?
心からお悔やみを申し上げます
追記 2015.12.11.02.11分記