中央区佃に伝わる 素朴な盆踊りの念仏踊り
江戸時代の天正年間に遡り 摂津の佃島の名主 森孫右衛門ら34人がこの隅田の中州に移り住んだと言われて居ます。
色々な資料が有るようですが 小さな島だったとか埋め立てをしたのだとかの説が有りますが 中州が島の様に形成されて埋め立てて島に成ったのではなかろうかと思います
落語や講談・お芝居等で出て来る 大川は 現在の隅田川でその中でも吾妻橋周辺から佃周辺までを大川端と呼ばれて居ます
中州が有ったと言う事ですので ドザエモン等の隅田川にて水死した方とか 関東大震災や東京大空襲・橋等が少なかった居りには渡し船の転覆等での死者が川の流れの関係で
流れ寄った事が多かった様で 此方の念仏踊りは 水難供養の場所でもあります
落語や講談等で住吉神社のお祭りの帰りに小舟が転覆した等と言う話が有りますが そのお話の場所でもあります
佃の渡しは昭和39年・1964年に佃大橋が出来て廃止された事は 私が上京後の書籍で最近まで東京の渡しが有った処と知って居て興味が有った場所です
念仏踊りは 対岸の築地本願寺の影響が多い様で・そもそもの一向宗の流れをくむ要素が多いと思われます
明治維新以降 天皇が京都から東京に移り住む事に成り 其れまでの8月のお盆を東京だけ7月13日~15日にしたと言われて居ます。
踊り手の皆様と踊り場の雰囲気を壊したくないので フラッシュを焚かずに撮影して居りますので若干暗く成っておりますが 御理解をお願いいたします