猫・桜・自然・発煙筒・祭り・時々御酒と独り言

お立ち寄り有難うございます。

家猫6人庭猫2人と桜に囲まれ 忙しない毎日を生きております。

旧・太平洋炭鉱の面影1.23

2020-02-07 17:11:23 | 街歩き

今日の釧路は HBCのライブを見る限り如何やら雪が上がった様で晴れ間が見えて居ます
東京と見比べると東京 最低気温 06時14分 -1.6℃ 最高気温 13時58分  11.5℃
釧路 最低気温 01時13分 -9.7℃ 最高気温 10時49分 -4.1℃で風雪が有った様で体感温度は もっと寒いと思われます

釧路埼灯台で太平洋を眺めたら 岬の右手に石炭を運んだ跡地が見えました



私の子供の頃は 有名な炭鉱でして1905年『明治38年』に安田炭礦「鉱」から経営企業が変り1920年『大正9年』に太平洋炭鉱と成りました

2002年『平成14年』私の子供の頃には道内に沢山の山『炭坑』が太平洋炭坑が閉山してその事業を釧路コールマインが採炭事業を継続して 年間50万トンを生産しているそうです

この炭鉱は 桂恋抗・春採抗や別保抗・興津抗等が有り我が故郷・厚岸の太平洋沖まで坑内が来ていたと伺った事が有ります

そう言えば 私の小学生・高学年の頃に母方の叔父が太平洋炭坑の役員の運転手をして居るとの事で 車なんて道を通って居なかった頃に 我が家に乗用車を乗り付けて自慢げにみせてくれました

その後 一度だけオープンカーを会社から借りたと我が家に来たのでオネダリして乗せて頂いたのが私の初めてのドライブでした

普段・感じて居る潮風が 車に乗り感じると違う浜風に感動したものです

古い古い想い出ですが 母方の叔父さんは戦中戦後の大家族でしたのでドノ叔父さんだったのか分らない程の時間が経ってしまいました

写真の線路で石炭を運ぶ機関車が 確か数年前に廃止になったと聞き及びます





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釧路崎灯台1.23

2020-02-07 16:40:44 | 街歩き


此処に灯台が出来たのは 釧路港『明治32年・1899年開港』が出来る8年前の明治24年『1891年』でした

道東の夏は 霧が多くて航行する船や小舟の為に灯台として行き交う船に道標として釧路や厚岸で海難事故が多発して居ますので開設されたのでしようネ

私も 多分小学六年生の頃に雪印乳業とガラス工場『網に取り付けて使う大きな浮き球や硝子瓶や子供の時に遊んだビー玉等を製造していた』と一緒に灯台を訪ねた記憶が有ります

灯台の建物は 三代目との事ですので私が伺ったのは 初代か二代目の何方かと思われます

伺って居る間に霧が出始めてライト点灯大きな霧笛が鳴り始めてとても吃驚した記憶が有ります。

56年程前の記憶ですが 灯台の場長さんや数人の所員さんがいらっしゃいましたので初代だったのかも知れませんネ

その後・大人になってからも数度 お訪ねして上まで上らせて頂きましたが無人に成ると伺いましたので燈台守が居なく成るのだと残念に思った記憶が有ります


『おいら岬の燈台守は 妻と二人で沖ゆく船の・・・・』の唄は 私の愛唱歌の一つです
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