気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(‘77) 5月20日 (金) #1 いよいよ舟浦へ

2023年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム
未だ起きやらぬ思い瞼を擦りながら身体をもたげ、寝起きの一服をと煙草に手が無意識に伸びた時、私の頭の中には未だ耳にした事の無い様な爽やかなメロディーが流れていた。直感と云うのは一つの暗示であると思っている。暗示はやがて詞になり詞は旋律を求める。つまり或る直感は歌を作らせ、それが現実の中では歴史を物語る伝説となってゆくのだ。幾分なりとも空模様が気になる様な朝、今日は西表二日目。

吊る時と同じで畳み方の判らぬ青蚊帳の始末を、明美に頼りながらの作業。昨夜と同じ味気無い食堂で朝食をとった。午前九時三十分頃であっただろうか、私達は移動開始の為民宿「さわ風」を出てバス停に向った。出掛けの際にオバチャンが二人に、缶入りの冷たい飲み物を白いビニール袋に入れて持たせてくれた。
民宿から歩いてほんの僅かな所にバス停は在った。ひと気の無いバス停で切符を買い待っていると、小雨がパラついてきた。十時出発のバスね乗るには少々時間が有り過ぎたので、その時間を利用して夕辺の店まで、ちょっと小走りに切れてしまった煙草を買いに行った。ほんの少しの時間であった。戻ってみると明美はべんちを離れ、近くをゆっくりと散歩しながら南洋植物を歓楽していた。見知らぬ土地の小雨の中の風景として、妙にフィットして映っていた。私には名前すら解らないそれらの植物を明美は大体知っていた。
ここで一つ気になったのは、明美が一人でいる時間を欲しがり出した兆候らしきものが、私の胸の中に映った事だ。無理もない。ずっと二人で何をするにも一緒だったのだから…。
そんな中、やがてお待ちかねのバスが来て、二人を乗せると静かながらも重たいエンジン音と共に走り出した。初めのうちは何やら話しをしていたけれど昨夜の睡眠不足の為か、私の左側、窓側に明美が心暖かく居るその為か、私は知らず知らずに明美の肩に凭れ眠りに着いていた。古見を過ぎてから多分、間もない頃であったと思う。それはまさしく平和な、平和な安らぎのひとときであった。
目が覚めたのは、上原辺りでは若い旅行者の間で比較的によく名前の出る民宿、その名も『悪名』高き「カンピラ荘」をだいぶ過ぎた頃であった。木々の緑の中を土煙をり巻き上げては激しく揺れながらバスは走っていた。つまりは『その名も高き民宿』とやらを見逃してしまったのである。別にそんな事は大した問題ではなかったけれど。バスはやがて舗装道路を走り始め、間も無く未だ新しさを思わせる橋の袂で停車した。時に午前十一時三十六分、気持ち良く疲れた一時間半のバスだった。




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