気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(‘77) 5月19日 (木) #3 西表西部

2023年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム
船乗りの一人が何やら話し掛けてくる。出身地・波照間の言葉を混じえて喋っているけれど、聞いている二人には別にこれと言って苦にもならず、色々な海に関した物珍しい話しに心を奪われていた。西表での民宿などについて良さそうな処はないかと尋いたところ、「さわ風」という彼の懇意にしている一軒の民宿を紹介してくれた。約二時間の航海の後、何か…が待ち受け、始まると予感して止まない西表は第一日目の大原に到着。時に午後五時三十分であった。

道幅は離島にしてはやや広めで、舗装された桟橋からの坂道をほんの僅か登り、右に曲がって約七~八分程でブロック造りの民宿「さわ風」が目に入ってきた。竹富や去年の波照間・与那国に代表される様に、南の島と云う意識が強く働いている為か、ブロック造りの二階建てなどと云う民宿が何となく気に掛かり、それらしい雰囲気を削がれる気分になってしまった。
一階には手前に窓口らしきものが有り、その向こうには左に厨房、右には食堂が有った。二階は真ん中に通路があり、突き当りはベランダであった。左右には化粧板で簡単に区切られた部屋が八~十室ぐらい並んでいて、オバチャンはいとも簡単にあっさりとこう言った。
「あいているところの好きな部屋に入りなさい」
と。
呆気にとられた表情で、二人共思わず顔を見合わせてしまった。入室客は二〜三室ぐらいで、戸の開け放された部屋の中の様子からは、何処かの工事に来ている人達であろう事が伺えた。私達はベランダに向い右側の部屋を選び、取り敢えず一服した。
明日の予定を…と思った時に地図が入用になったので階下に降り尋ねたところ、役に立ちそうもないものばかりで、結局は表通りの一本裏の細い通りの売店迄買いに行く事になった。
その売店に行く事になったのは、実はオバチャンのちょっとした好意からであった。盛んに私が地図の入用をオバチャンに話していたら、あそこなら有るかも知れない…と心当たりにわざわざ電話を掛けてくれて確認してから、私がこれから買いに出て行く事を話しておいてくれたのだ。それ程詳しい地図ではないけれど、今の二人にとっては大変貴重な物の様に思えた。
午後六時を幾らか過ぎた頃に夕食をとり、その後暫くしてから明日の予定を検討した。色々な案が出ては消えなかなかまとまらなかったけれど、やっと一つの結論に達した。
先ずはバスを使い浦内川迄行き船で川上り、二つの滝を見て川下り…と云うコースである。決められた事はただそれだけで、宿などはその近辺で何とかなるであろう…と楽観した。取り敢えず決めるべき事は決めたので、幾分なりとも気が楽になっていた。

いつの間にか時は闇夜のガウンを纏っていた。昔懐かしい青蚊帳を二人で吊った。私より明美の方が器用だった。よくよく思い出してみたら、私が蚊帳を最後に見たのは小学校に入る前だったと記憶が甦った。明美も似た様なものかも知れないけれど日田の盆地育ち。やはり何処か違うのかな…と思った。
兎に角、虫の煩いから逃れられた後、食堂に降りビールを買い、これからの西表での日々に乾杯を…って…。泡盛ではなくビールというのも、この生暖かくもそよ吹く風を受ける青蚊帳の中では、何かしらの情緒を感じる。

★これは1977年がその舞台となっている日記で、書いているのは2023年の今現在だけど、この1977年の10余年後、なんと、小学校時代の同級生が、ここに出てきた民宿の近所に移住していた事が21世紀になって発覚したので、クラスメイト達はみんな驚いていた。勿論私も。そんな事って有るものなんですネェ。(蛇足でした)。


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