気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

いつもは観ないTV

2022年05月21日 | ブログ
金曜日22:45~23:15
NHKドキュメント72時間。
いつもは観ない番組だけど、昨日はタイトルに惹かれて観た。
「沖縄 今日も“ゆんたく”市場で」
私にとっては、これだけで観るに値する。とは言え、何か特別な事を放送していたわけではない。本島の金武町(きんちょう)に在る野外市場での72時間の、単なるドキュメンタリーに過ぎないのだけれど、そこに集まる人達があまりにも「沖縄の人達」っぼくて、TVの画面越しに、その場へと引き込まれてしまった。
ああ、そっか〜。これは一度でも島の空気を体感した事が無ければ、言葉では表現出来ない事だった。
取り敢えず、「ゆんたく」とは〈言んたく=言う事=話す事⇒お喋り〉と理解して頂ければいいと思います。転じてユンタは「物語り」と云う意味にも繋がります。民謡の『安里屋ユンタ』(歌詞は26番迄あると言われている)のユンタもこの「言う」と同じで「話す・噺し」と捉えると、安里家に生まれた美女・クヤマの物語り…として理解し易いでしょう。(正確には、女性は二人登場します。クヤマともう一人の女性との生き方・主観の違いが表現されています)。

あれ、話しが完全に逸れてしまいました。でも折角だから、このまま残しときます。

兎に角、この長閑な金武町と云う処に集まる人達のお話しでした。
色んな人達が来る中で心に残ったのは、昔、徴兵で3年間島のキャンプにいた米国人。今は沖縄在住で日本語も上手い人。彼は言った、
「内地で私は外国人、
でもここでは沖縄の人(人間)」。
この一言に私は、私の思考が一瞬止まってしまったのを感じた。
アメリカ人が内地では外国人。でも沖縄では同胞。沖縄とはその様な処で彼自身も、受け入れてもらえる素養が有ったのでしょうが、内地では外国人。このギャップは何なのでしょうかネェ。番組の本意では無いでしょうけれど、私にはそんな事も提示していた様に思えました。
今私は故郷の下町に棲んでいますけれど、かつては八重の島んチュとして受け入れてもらえていた。それがどれ程デージ(大事)な事か、今更ながら考え、懐古している深夜。泡盛が時間を止めています。
そう言えば6日前の15日(日曜日)復帰50年でしたね。早いなぁ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿