気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(‘75)「6月8日」と云う日

2022年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム
過去に於いて私が日記なる物を書いたのは、恐らく2回程だったと思う。最初は学生時代の所謂「恋の日記」の様なもので、今はもう残されてはいない。現存している物は今手元に在る『The Wanderlust=Then How I Was』と名付けた沖縄渡島から始まる、所謂旅日記(日誌)がそれです。
この初めての沖縄渡島は6月6日(ノルマンディー上陸作戦の日)に晴海港から出航し、48時間15分後の6月8日に足を下ろしたところから始まる。正確にはプロローグとした4日からですが…。
で、何を思ったか、この日記からの抜粋をしてみようとしています。
もうかなり昔の事なので(時効と云う事にし)全て実名のままにします。
尚、登場人物は(例外を除き)男女共に敬称抜きです。
 
6.8.    South-end Island (南海の果て)
『Sunny Afternoon』午後の日溜り…という言葉が、これ程適切に感じられた事がこれ迄に有っただろうか…と思わせる、ここ那覇市泊大通りに面したカフェテラスからの一望。かくも自然とあの「Sunny Side Of The Street」のメロディーが頭の中に浮かんでくる。本当に“Sunny”という言葉がピッタリとはしているが、実際に外に出れば一足早い梅雨の蒸し暑さのせいで、些か不快にもなりかねない。今ここでアイス・コーヒーを飲みノドを潤していられる間が、何とも口には出せない心地だ。
 
それにしても、今朝の海上とはウソみたいに違いすぎる。遥か遠き我が家と比べれば南の果の筈なのに、少々寒気を覚えた程だった。海上と言えば、ああ、何と口にしたら良いものか。あの48時間15分の波間に揺れる牢獄を…。ただ石の様に沈黙に耽る人達の中で、時折り子供達の泣き、はしゃぐ声。可愛らしいとさえ思っていたそれが、狂気に触れて喚き散らすが如く「やめろ!」と叫びたくなってくる。それもその筈、船はただ揺れ、その誰もが止められない揺れの中にあの人の事を思い、飛び込み流れて帰ろうと思ったりする。そして遂には嘔吐する事が無いまでも、船酔いにこの身を犯され、熱が出た…と額には手を充てがう始末。今ここに、午後の日溜りに目をくれながらも、まだあの上下左右に揺れた感覚が残り、この身を揺らしている。
 
予約済みのユースには午後三時迄は入れず、煙草の一服一服を味わいながらこれを書いているのだけれど、初めからの不安は益々募り、今日が日曜日だという事が尚更悔やまれてならない。ユースを出る10日からの夜は何とか部屋を確保出来たとしても仕事の事が気に掛かる。ここでいくら那覇が大きな街と言ってみても、住み慣れたあの町とは比べる程もない所。まだ那覇を知らないし、ついさっき着いたばかりなのだが、そんな気がする。船から足を降ろして二時間足らず。未だ私には何も無いのだから、不安が出てもそれは仕方の無い事。(14:40)
 
ユース(春海荘)での日々が始まる。仙台からの猪俣と鵠沼(神奈川)の毛利の二人と同室になった。この事に拠り私としては様々な情報を得られた。初めてのユース、下船後の夜、例によって寝付きが悪い。大地の上、屋根の下でゆっくり、安心して体を横たえる事の出来る気持ちの歓びは有るけれど、未だ体は波に揺られている。 (夜)
 
…と、まあ、これが沖縄・那覇での初日の日記。ここには書かれていないけれど、仕事もさることなが
ら本来の目的は琉球音楽を学ぶ事が第一でした。
つづく…と書きたいけど、
余りにもいい加減な私。どうなる事やら。
=気まぐれ式部=

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