午前中、九時四十分の船で竹富に戻って来た。十時、船を降りて郵便局へ辿る道すがら、私は二人の女の娘と話しをしていた。船の中で語らい始めて以来、あれやこれやと八重山の事に付いて、特に竹富の素晴らしさを話して聞かせていた。今夜の宿がまただ決まっていない二人を我が泉屋へ誘った。未だ郵便局が見えていなかった所。博多からやって来た田原美恵子と鬼塚千鶴の二人であった。
もうすぐ二年目の安易な慣れなのであろうか。彼女達を島内の散歩やコンドイ浜へ泳ぎに連れて行った時など、まるで私自身が古くから住んでいる『半島民』であるかの様な錯覚に落ちてしまったのに気が付く。それは或る面で、私が竹富に言い様の無い愛着を感じていると云う証しかも知れない。去年と今年の異いは、その様な観点に薄っすらとでも表出している事であろうか。私は彼女達が初めて目の当たりにする、その光景にはしゃいでいる姿を見て、微笑ましくさえ思った。

今年もたいして変りが無いとは言え、私自身も去年は彼女達の様であった事に変りなく、それを思い出せばこその情感でろう。

この第二回目の八重山、泉屋の為に書いたとも言える新曲「旅の宿」と「旅の酒盛り」の二曲を引っさげて来た。今回の泉屋第一日目、つまり二日前の例の宴席で演ってみたら、オヤジさんは「旅の宿」の方をたいそう気に入ったみたいであった。そして今夜もオヤジさんのリクエストが入った。今夜は何となくいつもより気分良く歌えた気がした。
「ああ、旅をしていて良かった。旅の歌を書いておいて良かった…」と云う気持ちが頭の中を過ぎっていたのを感じていた。
夜は更けて、宴会は終った。
「ねえ、西の桟橋へ星を見に行くけれど、どう、一緒に行かない?」
寝るにはまだ少し早く、退屈そうにしていた美恵子に言った。
「ええ、いいわよ」
夜の水平線の向こうに浮かぶ西表島の、静寂を守らせる様な優しい威圧感を覚えさせる島影やら、南海の果ての夜空のお伽噺しを教えてあげたかったのだ。ちょっと生暖かくて優しい潮風がそよ吹いていた。
ここに、都会の息吹きは無い。夜空は夜空として、数え切れない程の星々を踊らせている。
私はメーテル
永遠の時の流れの中の旅人
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます