気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

6.11. 民宿・泉屋 、竹富島

2022年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム
9日10日の日記は一応書いてはあるものの、ちょっとここでは載せ難い内容なので割愛致します。
色々有ったけど、結局は石垣島へ渡る事になったのです。17:00の船(おとひめ丸)に乗り込んだのは私と毛利と秋田から来ていた須藤の3人。私にとっては民謡の宝庫の様な八重山諸島は、それだけで十分な魅力を備えていた。
 
6.11.民宿・泉屋、竹富島
         「ゆっくりしてきなよ」
7:30am、石垣島・石垣港に「おとひめ丸」は接岸した。昨夕乗船してからこの石垣港へ着く間に、少しの間三人で歩みを揃える事に意見がまとまっていた。この決定は私にとって好都合であった。と言うのも、三人共初めての土地で予備知識が貧していた…と言う条件は同じだけれど、私の場合、那覇での失意にも似た気持ちが優先していたから、自分で自分が頼りなかったのである。『何とかなるさ』と思って石垣島に来たのは、『二人に同行する機会があった』からなのである。だから私にとって気持ちの転換をする時間を、それ迄の時間を同行者と共に過ごせると云う事は、何かアフターサービスを受けられられる様な気になり、気が楽になったのである。しかし、この三人の行動もいずれは分散するのだから、その時はもしかしたら、私が最初に抜け出ると云う事が十分考えられる。
 
港は小雨が散らつき、その風景は正に田舎の様相を呈していた。石垣港内から表の通りに出て右の方に歩いて行くと、僅か100mぐらいの所に土産品店が有り、裏手奥に離島航路の乗船券売り場があった。目の前は波止場で小さな船が数多く停泊していた。その波止場の乗船券売り場で島の名前を見ながら行動予定を話し合った。と言っても、私は二人とは違い何も解らないので、ただ聞いていただけなのであるが、結局はどちらが言い出した事なのか、竹富島に渡る事に決定した。
 
何だかすんなりと話しは決まった様である。そこで10:15出航の乗船券を買っておいて軽い食事をしようと云う事になり、食堂探しの散歩に出掛けた。この時雨はやんでいた。方向に関する鼻は利く様で、それ程歩き廻らずに食堂を見つける事が出来た。しかしこの食堂、注文してから出来上がってくる迄の時間の長さときたら、三人をうんざりさせ、怒らせ、挙げ句の果ては余裕の有った船待ち時間に焦りを感じさせるに十分であった。後になって解ったのであるが、弁当らしきものの注文が私達より先に、大量に入っていたらしかった様である。とにかく目の前に出てきたものを三人共4〜5分とかからずに食べ終えて、走って戻らねばならなかった。波止場では竹富行きの「日昇丸」が目の前で私達を待っていたかの様に、そして私達を連れ去ろうといった感じで停泊していた。
乗船客が乗り終ると、目の前に浮かぶ、まるでお盆を伏せた様な平坦な島・竹富島へ向かった。私にとってこの、昔風に言うならポンポン船…の様な船は初めてであった。青函連絡船に始まり那覇迄の「なは丸」、そして「おとひめ丸」と前三回は共に大型船であったのだが、今度はほんの足代わりに丁度いい小型の「日昇丸」。今思いついたのであるが、私が船と関わりを持ったのは、この日本の南北両極端と云う事となった。もっとも私が船に乗る事、それ自体が珍しいのであるから、まァ、これは単なる偶然であろう。
 
この日(11日)の日記はまだ続くので、今回は(前編と云う事で)ここ迄。
竹富島に渡った後編に続く。
 
既に書いてある物を見ながら、それを写しているだけなので、作業は存外楽です。

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