「お金」で読む日本史 (本郷和人監修 祥伝社)②
明治維新の前の戦乱の時に輸入された銃は一丁100万円から150万円であったという。特に長岡藩の河井継之助は、北越戦争の時に買ったガットリング砲(多分今の機関銃のようなものだろう)は3億円であったという。あれ作るのにそんなに手間かからないように見えるので武器というのは儲かるなとも思うしこの時代に日本の国富の流出は大きかっただろう。
北越戦争は司馬遼太郎さんの「峠」に詳しいけど、なんで河井継之助が主人公になるほど凄いヒトなのかいまだに理解できない。長岡藩は、河井さんの努力あって藩の財政改革(この場合薩長と異なり密輸によらなかったことが特色)に成功しその資金をもって武装し新政府にも幕府にもクミしない一藩独立の戦いをした。立派なように見えるけど勝ち目がない戦で、たとえ勝ったとしてもそのあと独立を守ることはできなかっただろう。単に我を通したというだけじゃないのかという気がする。この場合勝つと思ったほうに賭けるというのが、正しい運営であった気がする。
もっともここはこう考えられる。大抵の藩はもう貧乏だからいいも悪いも自分の意志の表明はできなかった。せいぜいが道案内してお茶の一杯の接待で通過してほしいと思っていたに違いない。ただ長岡藩はおカネがあったので、新政府軍というのは幕府を倒しに行く道すがらついでに自分たちの家に押し込み強盗する集団に見えたに違いない。だったら自衛するぞという戦いであったろう。もし、薩長と同じく密輸で儲けていたらここはウマが合って、「では新政府樹立後はお互い大儲けしましょう。」と協力関係を結べただろうと思うが残念なことにその発想ができなかった。河井さんが意地を張ったために、折角倹約して貯めたお金で武器を買って(と言うことは当時のアメリカを儲けさせ)たとえ勝ったとしてもあとの維持が難しい戦争をはじめてしまった。
小さいころ読んでさっぱり意味が分からなかった言葉に、「璧を抱くは其れ罪なり。」(周のことわざ)がある。お小遣いを貯めてそれを大きなお金にすることは周囲に推奨されており、親の意見にとかく反対したわたくしもことこれに関しては親の意見と完全な一致を見ていた。璧を抱くのは無条件にいいことだと思っていたのにいけないことだとこのことわざはいう。
多分、河井さんは璧を抱いたばっかりに周りがみんな泥棒に見えた、そのために自滅したのではないか。「璧を抱くは其れ罪なり。」の実例の一つではないかと思うがどうか。古くからあることわざは含蓄がある。