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大覚寺展(東京国立博物館)3

2025-02-21 09:32:33 | 日記

大覚寺展(東京国立博物館)3

 天皇さんの謁見部屋が再現されていた。さすがに天井までは再現できなかったようで天井が平らなのは興ざめだけど小さい部屋で調度品は思ったより少ない。映画でもテレビでも御簾がかかっている向こう側であるから、初めて見る光景であった。

 驚くのは畳を5,6枚重ねてその上にお座りになることである。後ろ側が階段状になっているのか確認できないが、なっていなければ一足であの高さを上るのはむつかしいのではないか。

 江戸時代の牢屋の中は畳を重ねて高いところに牢名主が座って、新入りをいびる場目がドラマによくあるがちょうどあんな感じである。ただ牢屋ではその左右に牢名主補佐とその見習いみたいなのが少し畳の枚数を減らして座っているが、ここ御簾の中はただお一人だけである。それから牢屋の畳はヘリはついてないが、ここの畳には立派なヘリがついているところが大いに異なる。

 国家最高の意思決定機関の中の構造と、牢屋の中の自治管理機構は似ている。地位の高さを座っている場所の高さで示したがる、または示さねばならないのである。裁判所で裁判長が高いところに座るのはその名残であろう。国会議長も高いところに座る。株主総会で経営側が高い位置に座っているのは、株主より自分らがエライと主張しているのだろうか。銀行の窓口の後ろの方にはそのフロアの一番偉い人が座っている。その席は他より高い。どうかするとお客さんより目が高くなっている。銀行がお客さんをどう思っているかはこれでわからないか?この畳を見ながらいろいろのことを思った。

 当時の天皇さんは後世の牢名主のようにガラの悪いことを言うわけにもいかず、御簾の向こうの何とかの朝臣たちの権力闘争をどう聞いていたのか。あくびや居眠りもトイレに立つこともできないであろう。孤独でしんどい仕事である。小さいころは旨いもの食えそうだからあんなふうになりたいとコイネガッテいたが、そうでもないとこの立派なヘリのついた畳を見ながら思った。牢名主ならいい思いができたかもである。ただこれは旨いものは食べさしてもらえそうにない。

  しばしばあったことだが小さいころ木登りや屋根の上に上りたがる人(当時が娯楽がなくて庭の木登りをする人が結構いた)をみて「何とかと煙は高いとこのぼる」と囃していた。何とかにはあまりよくない言葉が入る。そういうことと関係するのだろうか。もしそうなら、庶民には庶民なりの深い知恵があったのか。