*敬称略 悪しからず
時代小説を書く時、実際の資料をどのように生かして行くのか?
藤沢「こういう歴史、一体に、昔の人を書く場合、昔と今と共通してい
る部分ネ、親子の間の感情とか、男と女の間の気持ちとか、
こういう所はそう大して変わらないところが有る訳ですよネ。
ところが、昔はこういうふうに考えたけど、いまはまったく
変わってしまった、と言う部分も有る訳ね。
で、この二つがですね、均等に出て来ないと、本当の昔のことを
書いた、とならない訳ですよね。
共通したところだけ書くと、現代的な物語になりすぎて、
なんだ昔と大して変わりないじゃないか、昔のロマンスを書いた
だけじゃないか、と言うことになる訳ですよネ。
ただ、昔とは変わったんだと云うところだけを書くと、それも
一面的になっちゃう。
資料というのは、そういう昔と変わっているところ、
変わっていないところを証明するものとして残っているわけです
よね。
それを、生かす、それを引用するというところで、一遍の小説の
中に、リアリティを持たすっていうか、なるほどこういう事だっ
たのかって、納得行くものを、資料として出せばいいんじゃない
か、と思うんですよネ。」
藤沢周平は云う、時代小説(大衆小説)ばかり書いていると、
どうしても歴史小説を書きたくなる・・
『一茶』「長塚節」「義民が駆ける」などである。
「漆の実る国」は、また別の理由があった・・これはいつかまた。
藤沢周平が「これから書くとしたら、平安時代」といっていた作品を
読んでみたかったナ~
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