残照亭の日日

日常の腹立たしいことなど、自分のストレス解消に書いてます。

故「藤沢周平」のファン。思い出の作品などを書こうかな。

「藤沢周平」⑬~四度の結婚~

2023-09-28 | 藤沢周平作品

*敬称略 悪しからず

「幸も不幸もまるごとが人生」(藤沢周平)

・昭和32年 結核療養所篠田病院を退院(30歳)

*ふるさと鶴岡に居場所は得られなかった。恋人とは別れるしかなく、

 教師への復職も叶わず、上京し職を得るしかなかったのである

・昭和32年 教師時代の同僚の紹介で業界新聞K社に入社。

 その後数社を転転とする・・・

藤沢「まぁ、業界紙の小さなところだったんですが、昼間っから酒飲んだり

   麻雀したり、みたいな、性に合わなかったんですね」

・昭和34年8月 三浦 悦子と結婚

藤沢「病院に見舞いに来てくれていて、・・・」

・昭和35年 日本食品経済社に入社。「日本加工食品新聞」の編集者となる

・ 昭和37年 長男 死産

・昭和37年11月~39年8月まで高橋書店発行の月刊誌「読切劇場」

 「忍者読切小説」「忍者小説」に短編小説15篇を発表

藤沢「雑誌社を紹介してくれた人が居て、それで少し発表するように

  なったんですけど、いま読むと、まぁダメですね。」

・昭和38年2月 長女 展子誕生、6月 妻悦子倒れ、10月死去

・昭和39年から「オール読物新人賞」に応募

藤沢「この頃は、何もすることが出来なかった。勤めが終わったらすぐ

  帰らないとダメでしたから、帰っても、小説を書く事しかなかった。」

・昭和39年暮れ 見合い結婚・離婚

藤沢「とにかく、助けて欲しかった。生活が成り立たないほど、

   追い込まれていた感じですよ」

・昭和42年夏 山形の女性と結婚・離婚。(この後しばらく小説を書か

  なかった)

・昭和44年1月 高沢 和子と再婚、以後生活は落ち着いていく

*藤沢氏は、高沢和子さんと結婚するまで、何度か見合いしては断られていた

和子夫人「とにかく何とかしてあげないと、という気持ちでしたね。その時は、

  喫茶店で会ったんですけど、本当にもう・・・」

藤沢は、ようやく日々の生活に落ち着きを得ることが出来、本気で小説に

向かうようになったのである。

 

 


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